いまんもレッスン日記⑦詩とか作ってみる

どうもどうも。
今日はめっちゃ短い記事。読了まで5分(とかってたまにネットの記事に書いてあると、いかにも功利的効率主義っぽくてイヤですよね)。

さてさて最近、レッスンでたまに生徒と詩とか作ってみたりしてます。
これはもともと、小4から教えている現在小6男子 U太とのレッスン中、いろいろ課題をやった後、残り30分ぐらいで何をするかという話になったことがきっかけでした。
残り30分。
作文を一から作るのには少々時間が足りない。国語問題をやるのも難しい。
歴史社会についてはその日、すでに前半の課題としてやってしまっていました。

で、思いついたのが、詩を読んでみて、自分たちでも書いてみる。

まず宮沢賢治の詩を二人で読む。春と修羅。が、U太的にはなんかピンとこない感じ。
で、次に翻訳もの、ということで、最近というか5年生くらいから思春期っぽい雰囲気のあるU太にはギンズバーグの詩をチョイス。「吠える」。
こっちななかなか気に入ったようなので、なんとなく盛り上がったような気がする雰囲気のまま、僕たちも実践してみました。

まず、テーマをテキトーに決めました。なんとなく、語呂で決めただけのテーマ。
夜とお茶。
何だよそれは全く意味わかんねーじゃねーかよとか言いながら意味不明なところにこそ詩想は宿るに違いないと勢いだけで作りました。
で、出来上がったU太の詩が次のやつ。

「夜とお茶」

夜のお茶はうまい
なんかうまい
意味もなくうまい
なんか落ちつく

夜に食べる そして 飲むやつはうまい
意味がわかんないが なんかうまい

夜のお茶はうまい
とくにつめたいやつ
日々のつかれがとれると思う
なんかうまい

気づいたら なくなって お茶を作っていた
なんか つかれた

 

さてさて、こんな感じで他の子とも作ってみようと調子に乗った僕は、その次に、インターナショナルスクールに通うTMとも作ってみることに。
TMは英語ペラペラながらも将来日本で暮らしたいので日本語も忘れぬようにと毎週僕と作文を作ったり日本語小説を読んだり読解したりしている生徒です。
この日は日本史をやって小説を読んで終わってみると、残り15分。延長してもいいけどキャロムもやるなら、あんまり時間ない。
ということで、TMともテーマを超テキトーに決めて詩を作ってみたわけです。
出来上がったのが、以下。

「無」

無はなんなのか
本当にわからない
無は黒だと思う

だが

黒もなにかだ
本当にわからない
やはり 僕の想像を超える

どうでしょうかね。
なんか、それっぽいでしょう。

でも本当はその出来なんて、どうでもいいんです。
それよりも、言葉を使って「表現」すること。
そして、その「表現」のあり方はすごく自由だということ。
そのことを子どもたちが学んでくれればいいんですよね。

本当は作文だってなんだって、本当は文章「表現」なはずなんです。
小学1年生の時、あるいは年長さんのとき。
お友達に手紙を書いたり。
初めて自分で字を書き文章を作ったその成果を、誰かに見せて回ったり。
その時は、みんなあらゆる子どもが、言葉を記すことで、自分を「表現」することを楽しんでいたはずなんです。

だけど学校なり何なりで、こー書きなさいあー書きなさい、これはマルこれはバツ云々と言われているうちに、みんなその楽しさはどっかに行っちゃって、ただの「課題」になってしまう。

僕はその、かつてみんなが感じていた、言葉で表現する楽しさを、少しだけでも思い出してほしい。そう思っています。
言葉を使った自己表現は、誰にとっても身近で、そしてもっとも素朴に直截に、誰かに伝えられる表現だから。
そして人間は、誰しも、自分を表現せずにはいられない存在なのだから。

では、今日はこんな感じで。
それでは、それでは。

読書のチカラ

さて、お話のはじまり、はじまり。
いくつも山を越え、
いくつも森を越え、
いくつも大海原を越えた辺り、
天上ではなくて、この地上の、
とある村に爺さんが住んでいた。
爺さんには息子が三人あった。
いちばん上の息子は利口で、たくましい若者。
二番目の息子はまずまずといった若者。
ところが一番末の息子というのは、
まるっきりのお馬鹿さんだった。

さて、これは『せむしの小馬』という本の書き出しです。
この本、ロシアの作家ピョートル・エルショフが今から180年前に書いた古典的作品なんですが、どうでしょうか皆さん、ご存知でしたかね?
いや、お恥ずかしい話なんですが私は全然知りませんでした。
数年前、自分の娘用にと友人の編集者がプレゼントしてくれたんですが、最近本棚で目にしてちょっと読んでみたんですね。すると、結構おもしろい。
お話は、ちょっとお馬鹿な青年イワンが(この辺は「イワンの馬鹿」になぞらえています)、小さいけれども賢い小馬といろいろ冒険した結果、最後は皇帝になるという、おとぎ話的なもの。なんとロシアではバレエになったりアニメ映画になったりしています。
でも、このお話が面白いのは、なんと言っても、その語り方。
上の書き出しもなかなか魅力的なんですが、ロシア文学的な諧謔に満ちた詩的な文章は、むしろ大人が読んで面白いかもしれません。
もちろん読書の楽しさに目覚め始めた、小学校中・低学年のお子さんにもオススメできます。

さてさて、なんでいきなりこんな本の紹介を始めているか。
それは前の記事でも書きましたが、現在僕はやや時間に余裕のあることもあり、生徒の子どもたちと読む、いろんな本を物色中だからなのですね。
何より春休みには「子ども読書道場」という、まさに生徒と「本を読む」ことを目的とするレッスンを準備中でもあります。
が、この読書道場。今回はあんまり反応良くないですね。去年の夏やったときは、かなり受講者も問い合わせも多かったんですが、この春はむしろ国語記述や作文の短期レッスンの方がいっぱいの状況です。
新年度始まりであるのと関係あるんでしょうが、まあ正直、よくわかりません。
とはいえ、この春が不発でも、懲りずに続けていく予定ではあるので、例えば小学校高学年の感性豊かな少年少女であれば、こんな文章を読むのも良いのではと思っております。

「この本のページはね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。よくごらん、紀元前二千二百年のことではないよ、紀元前二千二百年のころにみんなが考えていた地理と歴史というものが書いてある。
だからこのページ一つが一さつの地歴の本にあたるんだ。いいかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいていほんとうだ。さがすと証拠もぞくぞく出ている。けれどもそれが少しどうかなとこう考えてごらん、そら、それは次のページだよ。
紀元前一千年。だいぶ地理も歴史もかわってるだろう。このときはこうなのだ。へんな顔をしてはいけない。ぼくたちはぼくたちのからだだって考えだって、天の川だって汽車だって歴史だって、ただそう感じているのなんだから、そらごらん、ぼくといっしょにすこしこころもちをしずかにしてごらん。いいか。」
その人は指を一本あげてしずかにそれをおろしました。するといきなりジョバンニはじぶんというものが、じぶんの考えというものが、汽車やその学者や天の川や、みんないしょにぽかっと光って、しいんとなくなって、ぽかっとともってまたなくなって、そしてその一つがぽかっとともると、あらゆるひろい世界ががらんとひらけ、あらゆる歴史がそなわり、すっときえると、もうがらんとした、ただもうそれっきりになってしまうのを見ました。

これはご存知、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の一節です。
宮沢賢治はまあもう国民的な児童文学作家と言ってもよいような人ですけれども、彼の生涯をみてみますと、戦前、国柱会というナショナリスティックないわゆる当時の新興宗教に入れ込んじゃったりとなかなかヤバイところもある作家なわけです。
でも、やっぱり作品はいいですね。
しかも昭和の作家にしては珍しく、音読してもいい。
上の一節なんかも、それこそどう解釈したっていいわけですけれど、彼の作品には価値観を相対化してくれるような、そういう多義性が多く含まれていると思います。
こちらもやはり、子どもはもちろん、大人になってからもう一度読み直して良い小説と言えるんじゃないでしょうか。

まあ、上にも書きましたが、僕は受けようが受けまいが生徒に喜ばれようが退屈されようが、レッスンで一緒に本を読み読書を奨励していくつもりです。
なんとなれば。
やはり国語力、言語力の基礎ってもんは、他人の書いた文章を読み理解し楽しめることで間違いなく一番養えるものと思うからです。
国語のテストでどんな良い点とったって、それで言語的な力があるとは限りません。
しかし読書家の言葉の力は、たとえ中学国語の内申が3しかなくたって、絶対その子の将来を裏切らないと確信するからです。
手前味噌ながら、私自身がそうでした。
登校拒否になって高校中退してグレてバンドやって全然勉強しませんでしたけれど、読書だけはずっと好きでした。
おかげで、十代の最後にやっと勉強しようって気になったとき自力で学習する力が残っていました。

V-netにくる子どもたちは、みんなチョー個性的でおもろい奴らで、でもだからこそフツーの学校やあるいはフツーのしょうもない価値観にはなじめず苦労してるかもしれない奴らです。そんな子どもたちが多いです。
勉強だって、必ずしもすごく出来るわけじゃないかもしれない。
でも、だからこそ。
だからこそ、僕は彼らに一つだけでも武器をあげたい。
自分で学び自分で考え自分で自分を表現できる、言葉をあやつる力をあげたい。
そして、それを身につける一番の近道が、読書なんだと思うわけです。

それでは、それでは。

読書道場の話のつもりが東大合格のニュース

どうもどうも。
最近は毎日、授業の合間に「子ども読書道場」含め、子どもたちとレッスンで読む本を探す日々を送っております。
いや「読書道場」で読む本については、一応、候補としてはHPやビラなんかにいくつか挙げてるんですけどね。ただ、これらは過去に自分が読んだことのある本で、まあこんな感じのやつをやりたいなって例に過ぎないものですから、その後もいろいろ図書館の児童書コーナーなんかにいったりして、もっと良い本はないもんかなあと日々探しているわけなんです。どんな生徒がくるかわからないですしね。
僕としては、できれば子どもたちが自分だけでは手に取りそうもない本、あるいはお父さんお母さんも読んだことがなくてなかなか薦められない本、みたいなものがいいなと思ってるんですけどね。
それでいて、できれば面白くて考えさせられるやつ。ま、なかなか難しいんですが。
でもまあ、懲りずに今後も探していく予定です。
そのうち春や夏だけでなく恒常的なクラスにもできたらいいなあなどとも思ってるもんで。

 
さて。
今日は本当はこの読書道場のネタだけで記事を書く予定だったんですが、そろそろ受験シーズンも過去のものとなり始めたこの一昨日、終わりの終わりに素晴らしいグッドニュースが!
なんと今年東大受験してた生徒から合格の報告が届きましたよ!!
いやスゲーなおい!
しかも、このS君は高校三年現役。ホントびっくりしちまいましたよ。
このS君はまあ確かになかなかアタマの涼しい人間でそういう人は大抵性格もとてもいいもんなんですが、S君もまた非常に苦労性の、でもそういうところを表に出さない爽やかな青年でした。
けれどだからこそ、内面の苦労がしのばれて、実際高2ぐらいからものすごく痩せちゃったりしていたので、そんな部分も含めて実際の試験ではどうなんだろうと心配していたもんでした。
が、結果は全くの杞憂でしたよ!
ホント大したもんだぜオメーは! おめでとう!!


ですが一方で。
最近はどうも感傷的でして、このS君ももうV-netにくることはないんだななどと思うと一抹の寂しさが。
こんなことを前の記事でも書いていて、松永先生なんかには「なんだよ乙女チックなヤローだな!」などと馬鹿にされておるのですが、それでもこのS君とはもうおそらく7年。
彼が小学5年の時から中学受験を指導し始め、その後も中学高校と週一回のペースで国語をずっとみてきたわけです。
それだけではなく。実はS君の兄貴、A君も僕の生徒で、これまた中学受験から大学受験まで指導しておりまして、つまり兄弟含めて9年間かかわってきたわけです。

9年。
短い時間では、ありませんよ。そりゃ、ね。
その間、兄弟の成長をみてきました。
そりゃ、単に週一回勉強を見てただけです。成長を見守ってきたなんて、偉そうに言えるもんじゃありません。
けど、ね。主観的にはやっぱり。そう、いろんな思い出があるわけです。

学校でいろいろあって泣く兄貴を慰めたこととか。
中1の定期試験時に骨折しちゃったS君の愚痴を聞いたりとか。

つい、この間のことみたいなんですけどね。
もう、ずいぶん前の話なんですよ。

兄貴はいま、会計士を目指して頑張ってるそうです。英語が得意なやつだったんですけどね、人生はわからんもんです。
そしてS君。彼の前にももちろん「不確定」であるゆえに希望に満ちた未来が広がっています。彼ならきっと、その苦労性ながらも涼しいアタマで最良の未来をつかみとっていってくれるに違いありません。

 
実は昨日はそれ以外にも、一浪して医科歯科大合格を決めた生徒が報告にたずねてきてくれました。彼は大学受験ではセンター試験を少し手伝っただけなんですが、これまたその昔、麻布受験を指導してからの付き合いだったのです。
他にも焚き火等々で小学生時代から付き合いのあった山形医大に進学した生徒が顔を見せてくれたり、かつての音読道場生徒でいま先生として道場を手伝ってくれているT君の建築への造詣の深さに感心したりと、昔から知る生徒の成長を実感する日々です。
彼らだけではない、本当にみんな、素晴らしい青年に成長してくれています。
本当はこの辺りの話もブログにしたいのですが、今日はもうずいぶん長く書きすぎました。
この辺の話は、4/2の年度恒例パーティーの折にでも。みな、顔を見せてくれるでしょう。

では、今日はこの辺りで。
それでは、それでは。