読解力とは何か

子ども読書道場(夏休み)どうも、どうも。相変わらずの暑い日々、脳みそも溶けだしそうな感じですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。私は夏バテ一歩手前状態です。

さて、前回告知した、夏休み「子ども読書道場」なんですが、おかげさまでたくさんの受講希望をいただきました。ありがとうございます。レッスンの性格上、あまり多数を相手にはできないんですが、これを一つの機会に、なるべく多くの子どもに読書の楽しみを知ってもらいたいと心底思っております。もし、ご希望の方がまだいらっしゃれば、あと一人ぐらいは何とか受け入れ可能ですので、是非お早めにお問い合わせを。

ということで、今回も読書のネタを。

私は子どもたちと小説を一緒に読んだりするとき、よくこんな質問を途中で挟みます。
「このお話、この後どうなると思う?」
もちろん、子どもがどんな答えを返してこようと、それを訂正したりはしません。ただ、実はこうした問いには、子どもたちの読解力を確認し養う意味が含まれています。
「この先の展開がどうなるか」という問いに答えるためには、それまでの話の大まかな内容はもちろん、細かな描写や伏線、登場人物の心の動きを、総合的に把握している必要があります。さらには、それまで個人が触れてきた「物語」の展開から想定する力も必要でしょう。
総じて、読者である子ども読解力をはかれる上、それを考えてもらうことで、読書に不慣れで、やや話を読み取る力に劣る子どもの読解力を養ってあげることもできるのです。

他にもいろいろと質問します。
「(物語のある状況で)こんな状況になったら、君ならどうする? どう思う?」
「君以外の人間はどんなふうに行動する?」
「予想した通りの結末だった?」
「この物語、作者はどんなつもりで書いたんだろ?」
あんまり深刻にならないよう、さりげなく質問します。うーん、と考え込まれてしまっても、よくありません。

これらの質問はすべて、読者の読解力を確認しつつ、それを伸張させる試みでもあります。
そして実は、いわゆる「国語」「現代文」の問題で問われている「質問」と形としては同じでもあります。
「傍線部の〇〇の気持ちを書きなさい」「傍線部のような行動をとったのは何故でしょう」等、国語物語文の設問は、私が「素朴」な形に見せかけて質問する内容と一見、同じようです。

しかし実は一点、重要な点が異なります。
それは、私の問いには「正解」が存在しないということです。
その子なりに感じたこと、考えたことを答えてくれればいい。それをことさらに否定する必要は全くありません。
どうしても、先々を読み通すことに困難を覚えていそうなら、「ヒント」を与えて、その子なりに続きを想像できるようにしてあげれば良いのです。
そして、読み終わった後の「感想」。これだって、つまらなかったら、一言「つまらない」でもいいはずです。

本来、読解力とはこうした「読み」の繰り返しによって身につくものでしょう。
一人で読書する場合でも、質問者はいませんが、代わりに自分自身がこうした問いを無意識に発しながら読み進めているわけです。
そして、自分自身が質問者である場合、当たり前ですが「正解」を期待することなどありえません。
繰り返せば、こうした自由な「解釈」こそが子どもの読解力を育みます。
「正解」を求めるやり方は、むしろそうした「自由」を奪い、読書の喜びを減殺し、何より子どもたちから思考の柔軟性を奪うでしょう。

しかも、やや専門的な話をすれば、文学理論において、「誤読」は読解における当然の作用であり、むしろ読みの多様性を保証するものです。
そこでは、優れた文学作品とは作者の意図さえも超えた解釈を生み出すものであるとされ(逆に言えば、作者の意図通りにしか読めないものは駄作です)、時代の文脈や、他作品と響きあうことで、様々な読み方をもたらすものだとされています。

何もそんな難しいことを言わなくてもいいでしょう。昔読んだことのある小説を、何年かぶりに読んでみたら、読後の印象が全く違ったなんてことは、誰にでもよくあることかと思います。
それはかつての読み方ーー「誤読」の仕方と、現在の「誤読」の仕方が、年齢や社会状況の変化などによって、大きく変わったからにほかなりません。

さて現在、文科省は教育現場におけるアクティブ・ラーニングの実質化を推奨しています。
さらに2020年以後は、それに合わせて試験内容の変化が予想されています。
もし、本当にそうした方向に教育内容を変化させ、さらに言語能力の軸の一つである読解力を育成したいと考えるなら、読解力を判定する試験は現状から大きく変えるべきでしょう。
あらかじめ「正解」の用意された「閉じた」読解のあり方から子どもたちを解放し、文章をより自由に解釈し思考しうる教育を、各現場で実践していくべきだと考えます。

では、今回はこんな感じで。
それでは、それでは。

想像力について

子ども読書道場(夏休み)どうもどうも。7月もまだ半ばだというのに、えらい暑さですね。
さて、今回はいきなり宣伝です。この夏休み、「子ども読書道場」という短期レッスンを行います。
小学生用のリベラルアーツ、とまではいかないんですが、子どもたちと私が選んだ「古典的」ながらも「おもろい」と思えるような小説を一緒に読んでいこうという企画です。
で、インプットするだけじゃなんなので、ついでに小説のレビューという形で短い作文も書いてもらいます。

普段、そんなに本を読まない小学生や、読書は嫌いじゃないけれど他に忙しくてなかなか本に手が伸びないといった子どもたちに、授業で小説の「読み聞かせ」を行うことで、少しでも読書の面白さを知ってもらいたい。
まあ、そんな思いから生まれた企画なんですが、せっかくなんで、このブログでも読書や小説に関わる話なんかをしたいと思います。

日本語能力、というか言語能力を涵養するのに、読書は最も手軽で効果のある方法です。まあ、これは皆さん、耳にタコができるぐらい聞かされてきた話だと思います。
でも、実は読書の効用というものは、それだけじゃあないんですね。

例えば、一つは集中力です。
没頭して活字を追うこと。30分でも1時間でも、ひとところで本を読み続けることは、集中して頭を使い続けることの訓練になります。
もちろん、こうしたことは他の作業でも身につくでしょうが、注意が必要です。
テレビを見たりテレビゲームをしたりして集中する、というのでは逆効果。これらはむしろ、アタマを散漫な状態にしてしまいます。
絵を描いたりパズルを解いたりするのは同様の効果が得られるでしょうが、やはり手軽さ、ということでは読書が一番なのではないかなと思います。

ですが、実はそれよりも私が重要だなあと思うことが読書にはあります。
それは想像力の涵養です。しかも二種類の想像力。

一つは言うまでもなく、「物語」を想像する力です。
つまり物語の世界を想像し、その登場人物などに感情移入する能力です。
こうした力の涵養は、他者の立場になって考える力を養い、また当然、何かを創造表現する源となります。

もう一つがーーある意味同じ力なのかもしれませんがーー現実を「異化」する想像力です。
「異化」とは、もともと文学理論の概念なのですが、現実をそれまでとは全く違ったものとして見させることを言います。
例えば、「春はあけぼの〜」といった文章を読むことで、普段、大して気にも留めていなかった日の出の風景を、特別な感興とともに眺められるようになる、そうした力です。

どちらかというと、私は後者の「想像力」こそが重要だと思っています。
普段、当たり前に見えていることに、全く別の意味を持たせる力、新鮮な驚きを感じさせる力。
こうした力は現実に対する知的関心を養い、また批判する力をも養います。
つまるところ、学問的な「知」の力の根本を養うわけです。

そこまで大げさに言わなくとも、現実に対して想像力を働かせることは、子どもたちの世界への好奇心を、より豊かなものへとしてくれるでしょう。
私自身、子どもの頃、読んだ物語のおかげで、見知った学校の裏山が小さなコロボックルの住処であるように思えたり、誰も言ったことのない火星や海底の世界に憧れを抱いたりしたものです。
繰り返せば、こうした想像こそが、やがては「世界」をもっと知りたいという知的な好奇心へと結びついていくのだと思います。

子どもたちだけではありません。
読書の体験は、私たち大人にとっても、いつでも「世界」を、「社会」を、新しい角度で、新鮮なものとしてみることを教えてくれるのです。

今回はこんなところで。
それでは、それでは。

子どもに読書をすすめる方法(半ば以上、身内ネタ)

どうもどうも、またまたお久しぶりです。最近、どうも心が乱れやすく無駄にストレスを溜めがちな私ですが、皆さまにおかれましては如何お過ごしでしょうか。

さて、あんまり更新しないこのブログですが、一部では文章が長すぎる重すぎるとなかなかに不評なようでございます(主に妻より)。
そこで今回は、なるべく勢いに任せて、短くスパッと終わらせたいと思います。

さて、そのお題。
今回は子どもの読書についてです。
まあ、やっぱり国語力を養う上で読書はしないよりは、してくれたほうが良いわけですよね。
読解力や語彙力、あるいは記述力まで自然と養ってくれるわけなんですから、塾なんかに行かすより、よっぽどいい学習機会になるわけです。お金もかかりませんしね。
ところが。
そうは判っていても、娯楽がこれだけ日常にあふれているなかでは、なかなか子どもは放っておいても読書好きにはなりません。いや、なる子はなるんでしょうけど、そうじゃない子もけっこういる。
いや、何を隠そうウチの娘がそうでしてね。
今年で小学2年になるんですが、去年一年の感じを見ていると、アレ? おかしいぞ? こいつ、両親二人とも読書好きなわりに、ちっとも本に興味を示そうとせんぞ、という感じだったわけです。
まあ、まだ一年生だったんですから、何も焦る必要はなかったんですが、それでも「いとこの某君は読書が趣味〜」なんて話を耳にすると、大丈夫なんかウチの娘は、といっぱしにアホな父親は思っちまうわけですよ。
そこで今回は身内ネタで恐縮なんですが、こうした実生活で経験したことをもとに、比較的幼い、小学生低・中学年に本を読ませる方法を考えたいと思います。

①しつこく本屋や図書館に連れていく
まあ、これはね。私自身が読書好き、というか本屋や図書館が好きなんですよね。
本を買ったり借りたりしなくても、あの空間に行くのが好きなんです。
で、半ば無理やり、それに娘を何度も付き合わせていたわけです。
最初は特に効果はありませんでした。なんとなく、ぼんやり私の後をついてきてるだけでね。
ところが、ある時、私にもどういうタイミングだったのかよく判らないんですが、急に絵本コーナーでしつこく立ち読みを始めまして(いや、ホントはよくないですよ)。もう帰ろうと言っても、なかなかその場を離れようとしてくれないんです。
ちょっとシメた、と思いましたよ。

②とにかく本を買う
これも、まあどうなんでしょうか。いろんな教育観点から考えると、必ずしもいいことではないのかもしれませんが。
でも、実際。私自身が読まない本含めて、いっぱい買っちゃうんです。だから、必然的に本に関しては子どもにも甘くなるという……。
で、別に本人が欲しいともなんとも言っていないのに、買うんです。いや、私がなんとなく買いたくなるんですね。一種の病気かも。
しかも、娘の希望も聞きません。彼女に聞くと、図鑑を欲しがるんですが、その図鑑も一通り写真を眺めたら「積ん読」になっちゃうので。
最初の頃は、買って帰っても、特に喜びませんし読みもしないんですが、まあそのうち気がむくこともあるだろうと思って、放っておきました。
さて、その上で、次です。

③本をリビングなどの目に付きやすいところに並べる
買った本は、なるべくリビングに置くようにしました。
実は、これが一番効果が大きかったように思いますね。私自身は。
子どもが小さいうちは、たとえ自分の部屋を持っていても、勉強するにせよ何にせよ、やっぱりリビングなんかに居ることが多いですよね。
そういう、子どもが多くの時間を過ごす場所に本を置いておくということです。
我が家の場合は、リビングにちょっとした本棚を作って、そこに娘の本だけでなく、私や妻の本もちょこちょこ並べてみました。
それで、私たちも休日の日には、そこから本を取り出して読書をするようにしてみたんです(この大人が読書を楽しんでいる姿を見せるのも、なにげに重要だと思います)。
すると、どうでしょう。
ちょうど上記した本屋での立ち読みの後くらいからでしょうか、ヒマな時間なんかに、娘が何となく本を手に取るようになっていったんですね。いや、本当に。
そして、一旦そういうモードになると、やはり子どもの集中力はすごいもの、これまで買っては「積ん読」状態になっていた本を、かたっぱしから読破していくようになったではありませんか!
……とまあ、こんなわけで、いつまで続くかは判りませんが、今のところ娘は、比較的読書を楽しんでくれているようです。

④しつこく本を読み聞かせる(一緒に本を読む)
さて、身内ネタばかりでは、さすがに何なので、最後に私がレッスンで行っている実践も記しておきたいと思います。
ズバリそれは本の読み聞かせ。
といっても、これは小さい子向けの話ではありません。小学校低学年くらいまでのお子さんに本の読み聞かせを行うのは、ある意味、当たり前のことですしね。
私が行っているのは、もっと大きな子どもに対して。つまり小学校の中高学年や中学生に対してです。
正確には、読み聞かせと言うよりも、あんまり本を読まない生徒と、小説を音読しながら一緒に読み進めるわけです。
小学校なんかでは「読書の時間」みたいなものが設けられていると思うんですが、これが人によっては効果がイマイチなのは、本好きでない生徒は、文章を自分一人ではなかなか読み進められないからなんですね。読むペースがゆっくり過ぎたりして、面白くなってくる前に飽きてしまう。そこで、私は一緒に音読しながら読み進めるというスタイルをとってみたわけです。
ただ難しいのは、人ぞれぞれ面白いと思う本のツボがぜんぜん違うことなんですね。私はSFやらミステリーやらジャンルを問わず、ツボを探しながら色々読ますんですが、思いもよらぬジャンルがぴったりはまることもある。ある中学生なんかは、なぜか中上健次の「岬」を読んで、急に読書に目覚めました。
それでも、この方法も本当にしつこく何度も繰り返し行っていくと、だんだんと効果が出てきてくれます。先の中学生含め、実際、何人かの生徒が読書好きになってくれました。
まあ、思春期の子どもと親子でこれを行うのは少々ツライと思いますが、小学校中学年くらいのお子さんとなら、試してみてもいいんじゃないかなとは思います。

以上、結局だらだらと長くなっちまいましたね。
どうも、短く書く才能が逆にないのか……。
ともあれ、今回はこんな感じで。まあ、結局ほとんど狭〜い身内ネタになっちまいましたが、ほんの少しだけでも参考にしてもらえれば嬉しいです。
それでは、それでは〜。

追記
⑤面白くなりそうなところまで「読み聞かせ」てやる
このブログを読んだ妻が是非、追加しろというので追記です。
私もあんまり知らなかったんですが、なんでも妻は少し時間がある時なんかに、娘に買ってきた本をちょっとだけ「読み聞かせ」ていたそうです。
しかも、ちょうどそろそろ面白くなりそうってなところまで、寸止め気味に。
娘がいよいよ物語の世界に入り込み始めたあたりで、「はい、忙しいから、ここまで。続きは自分で何とか読みな」って感じで。
最初は娘もブーブー文句を言うだけで、本もそこで止まっちゃってたらしいんですが、やはり続きは気になるのか、そのうち少しずつ、少しづつ続きを読むために本を手に取りだした、と。妻が言うには、そうらしい。
これも確かに効果がありそう。
実際、私も上に書いたように授業で物語を読む際、ある程度まで生徒と一緒に読み進めてから、続きは自宅で自分で読みな、それ宿題ねってな感じで「寸止め」を行うことがあります。
お子さんが、自分ではなかなか本を読まないけれど、「読み聞かせ」ならば聞いてくれる、あるいは「読み聞かせ」自体はねだってくる、というようなことがあったなら、試してみるのも良いかもしれません。

それでは、それでは〜。