いまんもレッスン日記①:「発言」すること

fullsizerender夏休みに行った「読書道場」ですが、おかげさまで楽しく行うことが出来ました。いろいろな発見もあり、教師としても非常に有意義でした。
参加してくれた生徒たちに、まずは感謝したいと思います。

参加してくれた生徒たちを観察していて、一番面白いなと感じたのは、彼らが意外と「発言」してくれたことです。

今回も、小説を読みながら、私はときどき立ち止まって、「物語の展開はどうなるか」、「犯人は誰だと思うか」など、いろいろ生徒に質問を投げかけてみました。
すると、最初はもじもじしている彼らですが、やがて堰を切ったように「自分はこう思う」「この次の展開はこうなって、きっとオチはこうなんだぜ」などど、勝手に話し出すのです。
特にやや未だ幼い感じを残すも元気いっぱい多動的小4男子が、我先にと質問に答えようとしている姿が印象的でした。

私は個人として、そして国語教師としても、子どもたちが何に対してであれ「意見」を言えること、それを「発言」し他者に伝えられるようになることを非常に重要だと思っています。
「自分の意見を正確に他者に伝えること」こそが、実は言語能力の基礎であり、日常においては最も重要なことだと考えるからです。
ときに多人数に対して、説得的に自分の考えを「発言」していくなかで、他者を説得するための論理力も磨かれます。
いわゆる「アクティヴ・ラーニング」なるものを実践するのにも、主体的な意見の表明は欠かせないでしょう。

本を読み終えた後に書いてもらったレビュー作文もそれぞれに個性的でした。
全員の前で、書いた原稿をもとに「一定の時間話し続ける」という約束で発表してもらったのですが、ふだんのお行儀のよい「読書感想文」と違って、「登場人物のお母さんがぎゃふんと言わされる展開は胸がすっとした」だの、「物語の先が見えるこの小説はつまらない」だの、実に《正直》な感想を語ってくれました。

今後も彼らの「発言」を聞かせてもらえるレッスンを、いろいろと工夫していきたいなと思わせてくれる授業になりました。
今一度、参加してれた生徒諸君に感謝しておきたいと思います。どうも、ありがとう。

それでは、それでは。

読解力とは何か

子ども読書道場(夏休み)どうも、どうも。相変わらずの暑い日々、脳みそも溶けだしそうな感じですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。私は夏バテ一歩手前状態です。

さて、前回告知した、夏休み「子ども読書道場」なんですが、おかげさまでたくさんの受講希望をいただきました。ありがとうございます。レッスンの性格上、あまり多数を相手にはできないんですが、これを一つの機会に、なるべく多くの子どもに読書の楽しみを知ってもらいたいと心底思っております。もし、ご希望の方がまだいらっしゃれば、あと一人ぐらいは何とか受け入れ可能ですので、是非お早めにお問い合わせを。

ということで、今回も読書のネタを。

私は子どもたちと小説を一緒に読んだりするとき、よくこんな質問を途中で挟みます。
「このお話、この後どうなると思う?」
もちろん、子どもがどんな答えを返してこようと、それを訂正したりはしません。ただ、実はこうした問いには、子どもたちの読解力を確認し養う意味が含まれています。
「この先の展開がどうなるか」という問いに答えるためには、それまでの話の大まかな内容はもちろん、細かな描写や伏線、登場人物の心の動きを、総合的に把握している必要があります。さらには、それまで個人が触れてきた「物語」の展開から想定する力も必要でしょう。
総じて、読者である子ども読解力をはかれる上、それを考えてもらうことで、読書に不慣れで、やや話を読み取る力に劣る子どもの読解力を養ってあげることもできるのです。

他にもいろいろと質問します。
「(物語のある状況で)こんな状況になったら、君ならどうする? どう思う?」
「君以外の人間はどんなふうに行動する?」
「予想した通りの結末だった?」
「この物語、作者はどんなつもりで書いたんだろ?」
あんまり深刻にならないよう、さりげなく質問します。うーん、と考え込まれてしまっても、よくありません。

これらの質問はすべて、読者の読解力を確認しつつ、それを伸張させる試みでもあります。
そして実は、いわゆる「国語」「現代文」の問題で問われている「質問」と形としては同じでもあります。
「傍線部の〇〇の気持ちを書きなさい」「傍線部のような行動をとったのは何故でしょう」等、国語物語文の設問は、私が「素朴」な形に見せかけて質問する内容と一見、同じようです。

しかし実は一点、重要な点が異なります。
それは、私の問いには「正解」が存在しないということです。
その子なりに感じたこと、考えたことを答えてくれればいい。それをことさらに否定する必要は全くありません。
どうしても、先々を読み通すことに困難を覚えていそうなら、「ヒント」を与えて、その子なりに続きを想像できるようにしてあげれば良いのです。
そして、読み終わった後の「感想」。これだって、つまらなかったら、一言「つまらない」でもいいはずです。

本来、読解力とはこうした「読み」の繰り返しによって身につくものでしょう。
一人で読書する場合でも、質問者はいませんが、代わりに自分自身がこうした問いを無意識に発しながら読み進めているわけです。
そして、自分自身が質問者である場合、当たり前ですが「正解」を期待することなどありえません。
繰り返せば、こうした自由な「解釈」こそが子どもの読解力を育みます。
「正解」を求めるやり方は、むしろそうした「自由」を奪い、読書の喜びを減殺し、何より子どもたちから思考の柔軟性を奪うでしょう。

しかも、やや専門的な話をすれば、文学理論において、「誤読」は読解における当然の作用であり、むしろ読みの多様性を保証するものです。
そこでは、優れた文学作品とは作者の意図さえも超えた解釈を生み出すものであるとされ(逆に言えば、作者の意図通りにしか読めないものは駄作です)、時代の文脈や、他作品と響きあうことで、様々な読み方をもたらすものだとされています。

何もそんな難しいことを言わなくてもいいでしょう。昔読んだことのある小説を、何年かぶりに読んでみたら、読後の印象が全く違ったなんてことは、誰にでもよくあることかと思います。
それはかつての読み方ーー「誤読」の仕方と、現在の「誤読」の仕方が、年齢や社会状況の変化などによって、大きく変わったからにほかなりません。

さて現在、文科省は教育現場におけるアクティブ・ラーニングの実質化を推奨しています。
さらに2020年以後は、それに合わせて試験内容の変化が予想されています。
もし、本当にそうした方向に教育内容を変化させ、さらに言語能力の軸の一つである読解力を育成したいと考えるなら、読解力を判定する試験は現状から大きく変えるべきでしょう。
あらかじめ「正解」の用意された「閉じた」読解のあり方から子どもたちを解放し、文章をより自由に解釈し思考しうる教育を、各現場で実践していくべきだと考えます。

では、今回はこんな感じで。
それでは、それでは。

想像力について

子ども読書道場(夏休み)どうもどうも。7月もまだ半ばだというのに、えらい暑さですね。
さて、今回はいきなり宣伝です。この夏休み、「子ども読書道場」という短期レッスンを行います。
小学生用のリベラルアーツ、とまではいかないんですが、子どもたちと私が選んだ「古典的」ながらも「おもろい」と思えるような小説を一緒に読んでいこうという企画です。
で、インプットするだけじゃなんなので、ついでに小説のレビューという形で短い作文も書いてもらいます。

普段、そんなに本を読まない小学生や、読書は嫌いじゃないけれど他に忙しくてなかなか本に手が伸びないといった子どもたちに、授業で小説の「読み聞かせ」を行うことで、少しでも読書の面白さを知ってもらいたい。
まあ、そんな思いから生まれた企画なんですが、せっかくなんで、このブログでも読書や小説に関わる話なんかをしたいと思います。

日本語能力、というか言語能力を涵養するのに、読書は最も手軽で効果のある方法です。まあ、これは皆さん、耳にタコができるぐらい聞かされてきた話だと思います。
でも、実は読書の効用というものは、それだけじゃあないんですね。

例えば、一つは集中力です。
没頭して活字を追うこと。30分でも1時間でも、ひとところで本を読み続けることは、集中して頭を使い続けることの訓練になります。
もちろん、こうしたことは他の作業でも身につくでしょうが、注意が必要です。
テレビを見たりテレビゲームをしたりして集中する、というのでは逆効果。これらはむしろ、アタマを散漫な状態にしてしまいます。
絵を描いたりパズルを解いたりするのは同様の効果が得られるでしょうが、やはり手軽さ、ということでは読書が一番なのではないかなと思います。

ですが、実はそれよりも私が重要だなあと思うことが読書にはあります。
それは想像力の涵養です。しかも二種類の想像力。

一つは言うまでもなく、「物語」を想像する力です。
つまり物語の世界を想像し、その登場人物などに感情移入する能力です。
こうした力の涵養は、他者の立場になって考える力を養い、また当然、何かを創造表現する源となります。

もう一つがーーある意味同じ力なのかもしれませんがーー現実を「異化」する想像力です。
「異化」とは、もともと文学理論の概念なのですが、現実をそれまでとは全く違ったものとして見させることを言います。
例えば、「春はあけぼの〜」といった文章を読むことで、普段、大して気にも留めていなかった日の出の風景を、特別な感興とともに眺められるようになる、そうした力です。

どちらかというと、私は後者の「想像力」こそが重要だと思っています。
普段、当たり前に見えていることに、全く別の意味を持たせる力、新鮮な驚きを感じさせる力。
こうした力は現実に対する知的関心を養い、また批判する力をも養います。
つまるところ、学問的な「知」の力の根本を養うわけです。

そこまで大げさに言わなくとも、現実に対して想像力を働かせることは、子どもたちの世界への好奇心を、より豊かなものへとしてくれるでしょう。
私自身、子どもの頃、読んだ物語のおかげで、見知った学校の裏山が小さなコロボックルの住処であるように思えたり、誰も言ったことのない火星や海底の世界に憧れを抱いたりしたものです。
繰り返せば、こうした想像こそが、やがては「世界」をもっと知りたいという知的な好奇心へと結びついていくのだと思います。

子どもたちだけではありません。
読書の体験は、私たち大人にとっても、いつでも「世界」を、「社会」を、新しい角度で、新鮮なものとしてみることを教えてくれるのです。

今回はこんなところで。
それでは、それでは。