「走れメロス」と学校教科書

2014年4月25日

先日、中三のH君との授業を行ったときのことです。
都立高志望のH君、何とか内申を上げようと、今回は早めの学校授業の復習がしたいということで、教科書を持ってきたんですね。
で、じゃあひとまず内容を音読してみるかとページを開いてみたんですが。
これが、すごくつまんない。
特に文章がいいわけでもないので、音読も盛り上がらん。
いわゆる教科書用に書き下ろされた説明文なんですが、毒にも薬にもなりそうにない内容なんですね。
先のブログで松永先生も書いておりましたが、日本の公教育における国語教科書はひどいですね。
特に私の感覚では中学教科書がひどい。
これに載せる文章、誰がどんな基準で 選んでいるんでしょうか。
毎年、テスト勉強に付き合うために「走れメロス」や「羅生門」をやっているとウンザリしてきます。
いや、ね。ちゃんとした解釈でやれりゃいいんですよ。
自由に解釈していいっちゅうなら、こちとら文学研究も一通りやってきたんだ、様々な「読み方」を生徒に開陳するのだって、やぶさかじゃありません。
いや、それはめっちゃ楽しい授業です。教える側からすれば。
でも、ね。あくまでテスト勉強なんですよ。
学校が教える解釈に従わなきゃならん。
で、こうなるとクソつまらんのです。
だって、ねえ……。メロスが友情に熱い男? 王様は人間不信の悩めるオッサン?
イヤイヤイヤイヤ。
フルチンで走ってる男の話ですよ?
だいたいメロスが約束の時間に遅れそうだったのは、寝坊が原因なんですぜ?
ふざけて書いてるに決まってるじゃないですか。
この太宰に限らず、今に残る近代文学の作品は、すべからくどこかに「毒」をひそませているものです。
その「毒」が判んなきゃ、面白くもなんともない。
ところが、その一番「美味しい」部分を大抵の場合、学校では教えないわけなんですね。
しかも、もちろんそんなこと、教科書選んでる人たちの大半は顧慮してませんよね。
でも、ね。
まだ、小説はマシなんですよね。教科書に載せる文章としては。
内容の解釈まで行かなくとも、少なくとも音読したら、大抵気持ちの良い文章です。
それだけでも、やる意味はある。
最初にも書いた通り、ヒドイのは説明文なんですね。
文章もビミョーな上、内容もビミョー。
そんな内容の文章を、授業で二週も三週もかけて説明するよりも、内容がはっきり判らなくとも構わないので、プラトンや『徒然草』を一年通して音読で読み切っちゃう方がよっぽど良いと思います。
いや、そもそも教科書選んでる人たちは、中学生の知力をナメ過ぎていると思います。
所詮、「子ども」なんだから、プラトンなんか読ませても判らない、それよりも「分かりやすい」書き下ろしの説明文を読ませておこう。こんなふうに考えてるのではなかろうか。
でもね。
松永先生のリベラルアーツを見ていればわかるように、ちゃんと教える側が解説してあげれば、プラトンぐらい中学生なりに理解しますよ。そりゃ、大学院生のようには理解しないでしょうが、彼らなりに受け止めます。
何も、国語が得意な生徒ばかりじゃない、いわゆる「苦手」とされている生徒でも、きちんとリベラルアーツの議論に参加できております。
学校授業に大手塾の講師を活用したりする以前に、土台の部分で改善するところはいっぱいあるんじゃないですかね。ホントに。
それでは。今日はこの辺で。