日本人は文系理系って分け方が好きですよね

daigakuhaikyoどうもどうも。最近ようやっと少しばかり涼しくなってきた今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
まあ雨ばっかし降ってますけどね。私は夏の暑いのもキライですが、長雨はもっとキライです。

さてさて本日は短めの話。
少し前のニュースになるんですが、こんな話をみかけました。
なんでも、「文部科学省」が先月、「同省の審議会『国立大学法人評価委員会』」の議論を受け、国立大学の組織改革案として「教員養成系、人文社会科学系の廃止や転換を各大学に通達した」そうです(9月2日付東京新聞)。

で、ちょっと調べたら、実際にこんなの出てきました。
この件では、松永先生もブログで書いてたみたいです。

いや、まあ何となく予測できてた話というか、実は数年くらいまえから人文系の大学に所属してる友人なんかとは、冗談混じりながらもネタにしてた話題なんですよね。
ただ、文科省にしては、けっこう思いっきり直球できたな、っていう感じはしますけど。

ただでさえ、独立行政法人になってからの国立大文系は、それまで以上に文科省にサイフを握られてヒイヒイ言ってましたからね。
特に友人のような若手研究者は、予算のために無駄なプロジェクトやら何やらをいっぱい背負わされて大変そうでした。
学科を妙チキリンな形で細分化したり名前を変えたりして、かえって学生とのマッチングが合わなくなってしまってたりとかね。旧帝大でも、ですよ。

まあ、なんか末期だなぁ、とは思ってました。
私がそう思うだけじゃなくて、ナカの人からも、そういう声が聞こえてきてたんで、やっぱり末期的だったんでしょう。
少なくとも、文科省の視点に立って見れば、何か内部でグズグズやってる、不採算な事業体にしか見えなかったんでしょうね。

もちろん、これは政治社会的な視点から見れば、68年の全共闘以来、推し進められてきた「上からの」「大学解体」の結末なわけですよ。
68年の大学紛争以後、日本の大学行政は、大学内部の自治、具体的には学生自治、教員自治のシステムを形骸化する方策を強く推し進めてきました。
代わりに校舎とかクラブハウスとかキレイにしちゃったりしてね。
よっぽどイヤだったんでしょうね、学生運動とか。
まあ、政治社会学的に見れば、その方策のゴールとも言える、ってわけですな。

でも、現場の人間はそんなこと考えてないでしょうね。
基本的には、上に書いたとおり、国立文系という「部署」が、何かグダグダした不採算事業体に見える、っていうのが、「国立大学法人評価委員会」でしたっけ? そこがこうした提言を出す動機になったんだと思います。

でもだからこそ――つまり政治とかイデオロギーとか、そういうメンドーなモノが絡んでいないからこそ、この話、けっこうリアルに実現しそうな気がします。それも遠い将来じゃなくて、もっと近い、十年後とかに。決定に関しては数年後に、とかね。
まあ、法学部や経済学部は残るんでしょうね。少なくとも、その「実学」の部分は。
歴史学とか政治学は、どうかな? たぶん、サヨクが多いからダメなんでしょうね。いやはや。

その分、私立の文科系が隆盛するかもしれない?
いや、ありえないですよね。
「それ、習ってもあんまり意味ないです」って烙印押された学問学部に、そんに人が集まりますかね。
人が集まらなきゃ、私大はビジネスなんですから、徐々にやめていきますよね。
まあ、補助金、めっちゃもらえるのなら別でしょうけど、それでもやっぱり、法学部、経済学部以外の文系学部の人員は絞られていくでしょう。
いや、それ以前に少子化です。体力のない私大はどんどん潰れちゃうかも、ですね。

さて、では以上のような未来が実現したとして、何が困るんでしょうか?
あえて言いましょう。

何も困ることはありません、少なくとも「学問」自体は。

そもそも学問なんてものは国や組織の庇護を受けてやるもんじゃないんです。
いや、もちろん庇護してくれるなら、その方が良いにきまってますよ。
が、庇護してくんないっていうなら仕方がない。
そっちが放りだすってんなら、こっちは独力でやり続けたるわい、ってな意気がアカデミシャンにはほしいところです。
実際、独力でできますしね、文系の多くの学問は。本さえあれば。
実際、多くの「知識人」と言われる人が、独力で学問をなしてもいるわけです。
一昨年亡くなった、吉本隆明とか、ね。

・・・と、まあ、これはもちろん極論です。
もっとも本当に、現在の「就職予備校」と化してる大学だったら、なくなっちまったって私はちっとも惜しくはありませんけどね。
また本当に学問を愛している人間にとっては、大学機構がどうしたこうしたなんて話は、副次的なことにすぎません。
学問は、金銭や栄達のためにあるのではないからです。

でも、ね。
こういったこととは別に、困ることは起こってくるでしょうね。
いわゆる「実学」以外の「無駄」な文科系学部を削ぎ落とした大学は、もちろん、もう総合大学ではありません。専門に特化した大学です。
で、その中の一流専門大学は、まあ良いんでしょうけど、これがその下、二流程度の専門大学だと、そうはいきません。
高度な専門知のみならず広範な総合的知性を育むことを大学の価値とするクラシカルな基準からすると、こうした二流専門大学は、非常にネガティブな評価をされることでしょう。
その低評価ぶりは、日本人の大好きな「グローバル」な視点によって明らかになるでしょう。

仮にそうなった場合、日本人は国内の大学に我が子を進学させようと思いますかね?
私だったら、ちょっとイヤですけど、皆さん、どうでしょう。
で、比較的「裕福」で、比較的「優秀」な人はみんな海外の大学目指して向こうで就職、みたいな流れができちゃったとしたら、これって、いわゆる「人材の国外への流出」なんじゃないんですかね?
でも、もちろん皆が皆、海外の大学を目指せるほど「裕福」でもないでしょう。
そうした場合は、たとえ能力があったとしても、「ちょっとビミョーだな、日本の大学って」などと思いながら、国内の「専門学校的大学」に通い続けることになる。
すると当然、海外の大学に行けた人間と、国内の大学にしか行けなかった人間とでは、知的環境のレベルに、そして当然、学歴的に差がつくことになってしまう。人によっては、お金の問題で。
この場合、おそらく今以上に経済格差=学歴格差になってしまうと思うんですが、どうでしょう。
というか、これは現在の韓国や香港で既に起こってしまっていることですよね。

こういうことって、文科省の人たち、わかってやってるんですかね。
きっと、わかってやってるんでしょうね。

短く書くと言いながら、結局、長くなっちまいました。やっぱり、怒ってるんでしょうか、私。

それでは、それでは。