かしこい親になるのは、なかなか大変ですよね。

どうも、どうも。こんにちは。
いつものこととはいえ、また随分と間が空いてしまいました。以前の記事をみると、なんとまだ梅雨時ではないですか。まあ、義務的に更新するような種類のもんでもないので、これでも良いのかもしれませんが、それにしても何とか一月に一本くらいは更新したいもんですね。

それはともかく、最近、教育本関係で話題になっていた、といってももう少々話題としては古いのかもしれませんが、いわゆる「佐藤ママ」とか呼ばれている方がいらっしゃいます。
そもそもは息子3人を灘から東大理Ⅲに入学させた母親としての経験をもとに、受験は母親で9割決まるとか何とかという、素晴らしく煽りのきいたタイトルの著作を上梓しておった方で、世の父親たちに自分の存在価値を再度見つめ直させる機会を提供しておった方なわけです。
ところで、その方が対談形式で書かれた本の一部がネットで公開されたところ、またもや一部煽りのきいたその内容から、ネット世界のあちこちから火の手が上がり、いわゆる炎上マーケティングのお手本を示す形となってしまったんですね。

私も記事にしながらもそんなに詳しくは知らないので、その火元が奈辺にあったかは定かでないのですが、その一つが「受験に恋愛は無駄」といった一見極端な管理親っぽくみえる部分なんじゃないかなとは推測できます。
まあ、これについては、身も蓋もない言い方ですが、「そんなん人ぞれぞれちゃうか?」ということに尽きます。
うまい感じに母親の掌の中で転がされながらも、特に歪みもせずマザコンにもならずに成長するタイプもいないわけではないでしょうし、別のケースでは依存心の強い大人に育ったり逆に徹底的な親への反抗絶縁に向かう場合だってあるでしょう。
だいたい、この方自身がホントにそんな母親だったのかどうかは、少なくともネット記事にある煽り気味の内容からでは判別できません。こういった記事は炎上目的でなくとも、多少事実を大げさに、誇張して書くもんですからね。

しかしながら、実のところそんなことは多くの人は百も承知なんじゃないかと思います。
にもかかわらず、この案件がこれだけのヘイトを集めてしまったのは、「したり顔で自分の自慢を本にしてんじゃねーよ」とか「いや、エライのは子どもたちであってアンタじゃないから」という至極真っ当なイライラ感もさることながら、以上の佐藤ママ関連の話題を見聞きしたお母さんたちが、なにやら自分の子育てのありようを上からダメだしされたような気分になったからなんじゃないかとも思うんですね。いや、さらにいえば、そのダメだしが、やや突っ込みやすいマヌケなものだったからではないか。
これは佐藤ママの話に限らず、教育本関連ではよくあることなんじゃないかなとも思うんですが、今の時代、主にネットから子育てに関するいろんな情報が、特に知りたくなくとも入ってきます。で、それらの情報の多くは、アレをしてはいけない、コレを食べさせてはいけない、むしろこういうことを子どもにさせるべき等々、おびただしい禁止と推奨にあふれているわけです。
それじゃあ、そうした禁止と推奨の嵐にさらされたお母さん方が(働いてるお母さんなどは特に)どう感じるかというと、その多くは「スマン。それ完璧にこなすにはスペックぜんぜん足らんわ……」という気分になってしまうんじゃないでしょうか。ハードルが高すぎるYO!

もちろん誤解のないように言っておくと、そういう教育本や食育本なんかが言ってることは、多くは本当のことですし、実践できるなら実践した方が良いに決まってます。
ただね。やっぱり時々、クソだとは重々承知していながらも昼飯がマックになっちゃうこともあるだろうし、レストランのなかで兄弟がリアル鬼ごっこに興じ始めたりしたら泣く泣くyoutubeの力を借りざるをえない場合もあるでしょう。でも、ホントはそれ、「よくないよなー」と親としては思っているわけです。
そこでふと開いてしまったネットの記事が「やっぱ子どもにyoutube見せる親とかクソだよなー」とか言ってたら、自分でもそう思ってるだけに、えらい落ち込みますよね。
で、普段からそういうモノにフラストレーションを感じてるなか、たとえば佐藤ママの案件のような露骨に煽り内容の記事を読んでしまうと、「オンドリャァ、何ぬかしとんねん!!」というテンションに一気になってしまうことでしょう。

まあ、かく言う私だって、あんまりゲームとかスマホとか中毒性の高そうなものは幼いうちから子どもに与えん方が良いよなーっと、我が子を育てる上ではいっぱしの禁止事項を作ってもいるんですが、それすらもひょっとしたら子どもたちに「禁止の欲求」(禁じられることでかえって対象への欲望が増すこと)をつくってしまう契機になるやもと思っています。
上記佐藤ママは「母親が9割」とおっしゃってますが、実際には教育はそんな単純なものではありません。親の影響力が大きいのは事実でしょうが、同時に子どもたちは様々な環境ファクターにさらされております。それは小学校、中学校と、子供達自身の社会的関係が広く深くなるにつれ、親の影響以上に大きくなっていきます。公立小中であれ私立小中であれ、はたまたフリースクールであれ、そうした場で子どもたちが築いていく人間関係を、根本において親が選別したりコントロールしたりすることはできません。

じゃあ、最終的に親として子どもたちにどう接するべきなのかというと、それこそ「人それぞれ」とも言えるわけですが、私が接してきた生徒たちのなかで、「この子、かしこいなー(必ずしも勉強に限らず)」とか「こいつ、いい奴だなー」とかって感じた子どもたちの親御さんには、一応の共通点があったように思います。
それは、性格もあるんでしょうが、すごーく肩の力が抜けている感じの、ちょっとだけ我が子から距離をとってのんびりとその成長を見守っている、というタイプの親御さんたちでした。
勉強や習い事にしても子どもの興味が伸びゆくままにそれらを習わせ、あまり親の方から過剰に何かをやらせたりはしない。周りから心配されても、「まー、何とかなりますわい」ってな感じで、あくまで自然体で、流されることなく子どもを見守れるタイプの方々だったと思います。

まあ、もちろん、こうした親のありようを「推奨」したところで、せっかちな私自身が性格上、なかなかそんなふうにはなれないですけどね。
むしろ、これらの親御さんを見ていて、私が見習いたいなと思ったのは、「こうあるべき・こうすべき」というこだわりを持たず、子どもに自然体で接している姿でした。

つまるところ、子育てに完璧などありうるはずもないのだから、どんな「スーパーママ」が世の中で持て囃されていようとも、「人は人、自分は自分」と肩の力をぬいて、自分たちなりに、自分たちだけの、親子の歩みを進めていくしかないんじゃないでしょうかね。

では、今日はこの辺りで。それでは、それでは。