いまんもレッスン日記⑥喜びと寂しさ

どうも、どうも。

本日は短めの話。
先日のブログの最後、記事を書いてる途中に慶應合格を報告してきた高校受験生Hくん、なんとスゴイことに早大高等学院も合格しておりましたよ!
いや、ホントすごいなあ。

と、この結果だけを書いたら、「すげー秀才のお子さんなんだろうなあ」って感じがしますけど、少なくとも私とご両親の実感はまったくそんなことはありませんでした。
秋から冬にかけて、お父様と「滑り止め含めて危ないんじゃないか」なんて話も何度か出たくらいですから。実際、「ここは大丈夫だろう」と思っていた学校を面接で落とされたりしてましたし。
それが慶應と早高院を両方合格っていうんだから、私としては、正直びっくりの上出来すぎる結果でした。

このHくんの特徴。それはもう一言、よく言えば弁の立つ、悪く言えば屁理屈に関してものすごく頭の回るおしゃべりなヤローでした。
私もかなりのおしゃべりで家では迷惑がられる存在なんですが、そんな私から見ても「よく喋るなあ」と思わせるおしゃべりヤローでした。
そのくせ私がどーでもいー話をしようとすると「断捨離!(ムダな話、よくない!)」などとのたまって、しかも問題に集中するのではなく自分がどーでもいー話を開始するという傍迷惑におしゃべりなヤローでした。

でも、この「おしゃべり」は、ある意味で、高度な国語力に裏打ちされたものだったんでしょうね。
なぜか、なかなか模試では結果が出ませんでしたが、過去問をこなす中では、どの高校の問題でも、必ず7割以上の点数をとっておりました。点が落ちるということがあまりなかった。
逆にいうと、だからこそ模試等で結果が出ないことがもどかしく、また本番に向けての周囲の不安を煽っておったわけですが、本人曰く、「模試は練習。自分は本番には強い」とのこと。
で、実際、その本番では結果を出せたんですから、有言実行で大したもんですよね、ホント。

まあ実際、彼の「おしゃべり力」を「ディベートする力」と置き換えると、すごく頼もしい感じがしてくるから不思議です。
この春、昨年夏に行って好評だった「子ども読書道場」をまたやろうと思ってるんですが、そこでは何とか小学生たちの「おしゃべり力」を引き出せたらなあなどと考えている次第です。

 

それにしても、この時期は毎年思いますが、嬉しい反面、寂しい季節でもあります。
この2週ほど、中高受験の終わった生徒たちが保護者の方々と挨拶にいらっしゃって、ちょっとお話をしたりしてたわけなんですが、そんな中でふと私が感じることは、ああそうか、この子どもたちにはひょっとするともう会えないかもしれないんだな、という一抹の寂しさでした。
もちろん、毎年、継続して習いにきてくれる子もたくさんいるんですが、なかには受験時だけ、という生徒もいます。
そういう生徒とは、もう会うことはできません。

先日、古い名簿を整理していました。
すると、出てくる出てくる、懐かしい名前。
昔。中学受験のレッスンを行ったはずの生徒が、生年を見ると、もうとっくに立派な大人になっていました。彼彼女はどうしてるだろう。

私の「ショートコント」に無邪気に笑ってくれていた彼女は今、何をしてるだろう。
私に怒られるのが嫌で駅でだだこねてレッスンをサボろうとした彼は、今も元気にやってるだろうか。

彼らにとっては、ひょっとしたら私は、ただの「塾の先生」かもしれません。
人生の中で一瞬、たまたま出会って、通過した大人でしょう。
ですが、個人指導であるためでしょうか。それとも、こちらが大人のためか。
私たちにとっては、皆、一人ひとりが、他の誰かとは違う、存在でした。
一人ひとりに、それぞれの「物語」がありました。
それは簡単に忘れられるものではないのです。

春には、また新しい子どもたちを指導することになるでしょう。
そんな彼らの「物語」にまたほんの少しだけ関われることを、「大人」である私は、ささやかな喜びにしたいと思っています。

それでは、それでは。

いまんもレッスン日記⑤はじめに言葉ありき

どうもどうも。
先回の記事で中学受験は無事終了、と書きましたが、その後にまた嬉しい知らせが入ってきました。
その生徒は千葉県の女の子で春夏休みの期間中に、短期集中で作文だけ指導していた子なのですが、なんと千葉県の国立大付属の中学に受験合格したとのこと。
すごいことにこの子もほぼ進学塾には通っておらず受験すると決めたのも秋口になってから。そこからも基本的には独学で、受験指導もほぼ受けず。V-netまでも遠いので、その間、私も一度二時間指導しただけでした。
とはいえ実は、この子はもともと作文能力に関してはずば抜けておりました。
上にも書いたように春夏休み、四年生から作文の指導を行っておりましたが、いわゆる「作文」を書いたのは最初だけ。その後は毎回、構想を練ってきた物語を一緒に小説にすることを課題としておりました。
いや、正直、私はあんまり何にもやってない。彼女が次々と書いていくのを時々修正したり軽くアドバイスを行うだけ。それだけで毎回三時間かける三日間で、小説を作り上げていたのです。
まあ、少なくとも中学受験の国語作文は敵ではなかったでしょうね。

 

と、そうした知らせを聞いて、ふと思うこと。
やはり、国語力、というか言語力って大切ですね。今更ながら。

彼女だけではない、このあいだ都立中合格した生徒、さらには過去にさかのぼって思い出す、私立都立国立の中学高校大学受験をしていった生徒たち。
文章を思うままに書ける言語力に優れた子たちはすべからく、トータルの受験では思う以上の結果を得ました。中学受験がダメでも高校受験で結果を出し大学受験ではさらなる飛躍。本当にそういうケースが多い。

それはつまり、こういうことです。

言葉、とは認識の基盤であり、核です。
私たちは言葉により物事を、特に抽象概念を認識し理解します。
その言葉を自在に操り文章化するとは、つまり抽象的な概念を自在に操りそれを組み合わせ構成する能力を持つということです。

何となれば、それは論理的な思考力を持つ、ということなのです。

物事を深く認識し理解する力がある。
そして物事を論理的に思考する力がある。
「頭がいい」って、つまりはそういうことですよね?

私個人の印象では、特に文章を読むだけだけでなく、書く力が重要に思います。
言葉を自分で想起し構成し誰かに伝えようと工夫すること。
その習慣化がやがては話す言葉や内心の思考をも「文章化」させる、つまりは「論理化」させると思うからです。
けれどももちろん、文章を書く力はその前段として、他の優れた言葉や文章をインプットすること、要するに文章をたくさん読む、多読することを必要としますが。

まあ当たり前の話ではあるんですが、その当たり前の話を今一度実感したという感じです。
はじめに言葉ありき。
いや、よく言ったものです。

それでは、それでは。

追伸、
ってなことを書いていたら、ちょうどいま、高校受験生徒から嬉しい知らせが!
第一志望の慶應に合格したっていうじゃないですか!
マジか! すげえぞ!
いやあ、この子も国語はかなりできたし、それこそ論理的なヤツで中三に全く見えない大人びたヤツでしたが数学が非常にビミョーということで少々心配していたのですが、やったぜ!
よかったなあH!
ホントにホントにおめでとう!!

いまんもレッスン日記④ いろいろな「頑張り」:中学受験顛末

どうも、どうも。
昨日、都立中高一貫校の発表がありまして、今年の私の生徒の中学受験は無事、終了しました。

どうも今年の傾向をみていると、私の生徒のみならずV-net全体でも言えることですが、まあまあ適度に頑張った生徒の調子が良いみたいですね。
昨日、都立の合格を報告してくれた生徒もそうです。
松永先生もブログに書いてくれていましたが、実質、私が個人指導をしたのは2ヶ月程度、詰めて受験勉強をやったのも同程度の期間だったのではないでしょうか。
もっとも、この生徒は「作文道場」にも長く通っていたので、作文の能力自体は前から比較的高かったのですが。
それにしても、それで志望の都立高に一発合格しちゃうんだから、たいしたものですね。

「道場」に通っていた生徒、ということで言えば、もう一人、これまた「まあまあ適度な頑張り」で私立合格した子もいました。
この女の子は「音読サイコロ道場」に通っていた子なのですが、春先の段階では受験しようかしまいか悩んでるってな感じだったのに、九月ごろ急に受験することを決定。
国語はけっこう出来るということだったので、私は、社会というか彼女が全く「未知の世界」だった歴史を指導しました。
まあ正直、そんなに上手くはいかないだろう、とも思っていました。なので、私としては彼女が少しでも歴史に関心を持ってくれるよう、なるべく楽しく学べるよう工夫したつもりです。「ショートコント・歴史」とか言ったりしてね。
別にその甲斐があったわけでは全くないでしょうが、学ぶ吸収力が高かった彼女も一日目に一発合格。びっくりしちゃいましたよ(もっともこれには算数を指導していた前田先生の「かなりの気苦労」が大きかった気もしますが)。

彼・彼女たちをみていると、やっぱり受験に対するストレスや勉強に対するネガティブなしんどさ、全体的な緊張がなかったことが良かったのかなと思います。
まあダメならダメで仕方ない、今目の前のことにベストを尽くしましょう、といった姿勢。
小学校六年生のこどもにとっては、ちょうどいいくらいの学習関心への刺激。
それらが良い結果を呼び込んだんでしょう。

 

だけど、じゃあ頑張ったらダメなのか? 小6で一生懸命努力しても意味ないの?
そんなわけ、ありません。

 

一人、印象深い子がいます。
彼女は人一倍、頑張り屋さんで、親や教師がそんなに頑張らなくてもいい、少し休んでもいいんだよと言っても、長女ゆえの真面目さか、人一倍頑張って勉強しました。
幼い兄弟がいるため家では勉強できず遅くまで自習室など利用して勉強しました。
でも、文句の一つも言いません。周囲への不満ももらしません。
結果はどうだったか。
第一志望とスベリ止め校が、ダメでした。
そして三日目になぜかスベリ止め校よりも偏差値的には上位の学校に合格しました。
その学校はスベリ止め校よりも難しいが故にノーマークだったのですが、それが幸いしたのでしょうか、おそらくあまりプレッシャーを感じずに受けられた模様です。
ともあれ、受験的には悪くはない結果におさまりました。

ですが、私が彼女を褒めたいのは、受験結果などではありません。それは「結果」に過ぎません。
私が褒めてあげたいのは、やはり彼女の「頑張り」です。
上に書いたことと少し矛盾します。しかし私は、「適度に頑張った」人たちと同様に、「一生懸命努力した」彼女もまた、誇りたいと思います。
特に、彼女がどんなにきつい状況にあっても、いつも明るく笑みを絶やさず友人に会ったら「お姉さん」として振舞えていたことを。きっと、すごくしんどかったろうに。

そんな「頑張り」は、やはり彼女の人生の財産になるでしょう。
今日明日得られる何かよりも、彼女が魅力的な人物に成長するための糧となるはずです。

私は、彼・彼女だけでなく、「適度に頑張れた人」も「一生懸命努力した人」も、それぞれがそれぞれのペースで「頑張る」ことで、素晴らしい未来を獲得していってくれることを信じています。
そう、それはきっと間違いのないことです。

それでは、それでは。