いまんもレッスン日記⑤はじめに言葉ありき

どうもどうも。
先回の記事で中学受験は無事終了、と書きましたが、その後にまた嬉しい知らせが入ってきました。
その生徒は千葉県の女の子で春夏休みの期間中に、短期集中で作文だけ指導していた子なのですが、なんと千葉県の国立大付属の中学に受験合格したとのこと。
すごいことにこの子もほぼ進学塾には通っておらず受験すると決めたのも秋口になってから。そこからも基本的には独学で、受験指導もほぼ受けず。V-netまでも遠いので、その間、私も一度二時間指導しただけでした。
とはいえ実は、この子はもともと作文能力に関してはずば抜けておりました。
上にも書いたように春夏休み、四年生から作文の指導を行っておりましたが、いわゆる「作文」を書いたのは最初だけ。その後は毎回、構想を練ってきた物語を一緒に小説にすることを課題としておりました。
いや、正直、私はあんまり何にもやってない。彼女が次々と書いていくのを時々修正したり軽くアドバイスを行うだけ。それだけで毎回三時間かける三日間で、小説を作り上げていたのです。
まあ、少なくとも中学受験の国語作文は敵ではなかったでしょうね。

 

と、そうした知らせを聞いて、ふと思うこと。
やはり、国語力、というか言語力って大切ですね。今更ながら。

彼女だけではない、このあいだ都立中合格した生徒、さらには過去にさかのぼって思い出す、私立都立国立の中学高校大学受験をしていった生徒たち。
文章を思うままに書ける言語力に優れた子たちはすべからく、トータルの受験では思う以上の結果を得ました。中学受験がダメでも高校受験で結果を出し大学受験ではさらなる飛躍。本当にそういうケースが多い。

それはつまり、こういうことです。

言葉、とは認識の基盤であり、核です。
私たちは言葉により物事を、特に抽象概念を認識し理解します。
その言葉を自在に操り文章化するとは、つまり抽象的な概念を自在に操りそれを組み合わせ構成する能力を持つということです。

何となれば、それは論理的な思考力を持つ、ということなのです。

物事を深く認識し理解する力がある。
そして物事を論理的に思考する力がある。
「頭がいい」って、つまりはそういうことですよね?

私個人の印象では、特に文章を読むだけだけでなく、書く力が重要に思います。
言葉を自分で想起し構成し誰かに伝えようと工夫すること。
その習慣化がやがては話す言葉や内心の思考をも「文章化」させる、つまりは「論理化」させると思うからです。
けれどももちろん、文章を書く力はその前段として、他の優れた言葉や文章をインプットすること、要するに文章をたくさん読む、多読することを必要としますが。

まあ当たり前の話ではあるんですが、その当たり前の話を今一度実感したという感じです。
はじめに言葉ありき。
いや、よく言ったものです。

それでは、それでは。

追伸、
ってなことを書いていたら、ちょうどいま、高校受験生徒から嬉しい知らせが!
第一志望の慶應に合格したっていうじゃないですか!
マジか! すげえぞ!
いやあ、この子も国語はかなりできたし、それこそ論理的なヤツで中三に全く見えない大人びたヤツでしたが数学が非常にビミョーということで少々心配していたのですが、やったぜ!
よかったなあH!
ホントにホントにおめでとう!!