雨天、焚き火。

どうもどうも。
さて、この間の日曜日、久しぶりに焚き火の会が催されました。
参加された皆々さま、お疲れ様でございました。
僕は久しぶりに小学3年娘を連れて参加。相変わらず1ミリも役に立ちませんでしたが、娘は存分に楽しんだようであります。他の先生方、焚き火スタッフの方々に多謝。

この焚き火もまあ、何やかんや言いながら、ほんと結構長く続いとります。
毎回千葉のバンブーファクトリーさん、奥多摩の百間茶屋キャンプ場さんにお世話になっておりますが、もうかれこれ7、8年になりますか。
初期のメンバーで中1だった生徒が今や大学生。他の小中学生の面倒をみる立場。はたまた当時高校生だった生徒にいたっては、音読サイコロ道場に教師の立場で参加してくれてます。

で、そんな彼らも参加してくれた、今回の焚き火。
が、あいにくの、雨。

当初の予報では午後にはやむはずだったものの、風がないのが災いしたのか、ズルズル雨雲が居座り、結局、終日、雨、雨、雨。

でも、これがかえって良かったのかもしれません。いや、大人にとっては良かったと言えないまでも、子どもたちにとっては結構いい体験だったかも。
大人の杞憂もなんのその、午前中はドロドロになりながら草地の方を「探検」。
午後は松永先生用意のバットとボールで一心に野球。雨の中、ずっとずっと。
寒くなったら、小屋の中で燃え盛ってる焚き火にあたり、といっても、ものの数秒もすると、
「お、ちょい雨やんだんと違う?」
「ほんまや。もう小雨やん」
「続きやろで、続き」
ともちろんホントは東京弁で軽妙に会話しプレイを続行。
ええ、もちろん、小屋の外はまだ大雨ですホントは。
で、また小一時間後。
全身ドロ雨で茶色く変色した身体を焚き火にあててシューシュー水蒸気を小屋の中にたてながら、
「あ、お前カラダから煙出てるで」
「お、ほんまや。でも、お前も出てるで」
「まじか。なんかかっこええな変身できそうやな」
「そんなんええでさ、野球やろで野球」
「え、俺、もうちょい乾かしたい」
「でも、もう雨やんだやんチャンスやん」
「あ。ホンマや。雨やんどる」
「続きやろで、続き」
と、もちろん外は大雨の中、再びドロ雨にまみれて野球を続ける子どもたち。
こんな感じで数時間、ずっと遊んでおりました。

で、思ったんですが、やっぱりこういうのこそが、大事なんですよね。
参加されていたお父さんとも話していたんですが、そう、ふつう雨が降ったら不便なもの。不快なもの。
身体は冷えるし足元はぐちゃぐちゃ。上の子どもたちのように全身ドロミドロになる。それが当たり前。
同じように、夏は暑いし、冬は寒い。喉も乾けば風邪もひく。
ところが、都会で生活していると、これが簡単には体感できない。
夏はクーラー、冬は暖房。
雨の日は室内で過ごせばいいし、それでも遊びに事欠かない。ゲームもあればテレビもある。

でも、ね。
やっぱり子どものうちくらい、感受性を育て判断力を育むこの時期くらい、そうした不便さ不快さを体感し、でもまたそれを喜びに変えていくような、そんな体験をした方がいいと思うんですよね。

だって単純に、子どもの頃、泥だらけになって遊ぶって、楽しかったですよね。

その楽しさを知らずに、大人になるって、やっぱり損じゃないですかね?

そんな話をしていたら、だいぶ前に松永先生が話していた、編集者とのやりとりを思い出しました。
正確な話は忘れましたが、確かこんな感じ。
ある著作に松永先生が「ナマの体験が大事だ」云々と書いたところ、ある編集者が「ナマの体験って何ですか判りにくい」云々といってきたそうです。
松永先生は手を替え品を替え、文章であれこれ説明したそうなんですが、その編集者には伝わらない。
その顛末はどうなったのか忘れましたが、その折僕は、その編集者自身がきっと「ナマの体験」をあまり経験しなかったんだろうななどと思ったものでした。

さて、じゃ、「ナマの体験」って何でしょうか?
その答え、間違いなく、この間の焚き火に参加した子どもたちには自明だと思います。

では、今日はこの辺で。
それでは、それでは。