とりあえず文章を何でも書いてみるのは大切ですよ

どうもどうも。
GWも終了しずいぶん日も長くなってきた今日この頃。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。私は昨日の夜からどうも風邪気味で、というよりがっつり発熱してるみたいでとっても体調の良くない感じです。
じゃあ何でブログなんて書いてるんだ早く布団入って寝ろって声が聞こえてきそうなもんですが、実際さっきまで横になってました。が、寝れず。
そこで何となく最近また滞りがちだったブログでもテキトーに書くかと思って文書練習のつもりで今こうやってパソコンの前に座ってます。

文章練習?
そうです。
やっぱり文章ってもんはどんなもんでもいいんで何かしら弄んでいないと結構劣化しちゃうもんなんですよね。
それはきっと高名な作家の先生だってそうではないかと思います。
何でしょうか。文章のリズムというか勢いというか、そういうもんが書き慣れてないと生まれない。
いや、もちろんある程度文章を書いてそれを仕事に役立ててる人間は、試行錯誤すればそれなりの文は書けますよ。
でも、そういう時の文章って、どうもぎこちなくてリズムがなくって読みにくいもんなんです。
あるいは理系的なデータを駆使したような文章? あるいは企画書なんかに用いる目的のはっきりした文章。
そんな文章は別にリーダビリティが高い必要ありませんし、むしろ字数等限られている中で抽象化された内容を書く必要があるわけですから、どっちにしろ試行錯誤したもんになります。結果、読みにくいがそういうもんです。

ですが、こうしたブログなんかもそうですが、不特定多数の人間が読むような文章、しかも特に伝えたい内容意見があるわけでない、いうなれば「読むこと自体」が目的とされた文章は、そうはいきません。
サラッと読めないといけない。
ある種の小説もそうですね。
ものによってはあえて「読み」を阻害するような文体で書かれた文学作品もありますが、娯楽に供されるようなもんはそれじゃダメですよね。
例えば娯楽として読まれるもんでも、特に読書を趣味にしていないような人がよく、海外文学・小説なんかの翻訳文体が苦手だなんていうのを耳にします。
それはいわゆる翻訳ものの文章が、訳者によってある程度試行錯誤された末に出てきた文章だからなんじゃないかと思います。外国語から日本語に移しかえる段階で、思考がワンクッション挟まるのは当然ですよね。
それに対して母国語で最初から考えられた文章は、それこそ作家の文章のリズムなり勢いなりをそのまま反映していることがままあるので読みやすい。まあ繰り返せば、そうじゃないものもあるし、読みにくいから悪文というわけでは決してありませんが。

で、何が言いたいのかというと、そうした文章のリズム、またそれを生み出す練習が一番必要なのが、子どもたちの作文なんじゃないかと思います。

いわゆる中三受験生以上が書くような小論文と違って、本来、作文は自分が思ったこと考えたこと感じたことを徒然なるままに書き綴るものですよね。別に伝えたいことなんかなくてもいいから文章で己を表現するという技術自体をマスターしてもらいたいというのが作文です。
ところが、これがやっぱりたまにしかそういう機会がないと、いざ作文書いてみなっていったって書けるわけないんですね。
大人だって劣化するんだから。特に文章修行したわけでもない子どもたちがそうなるのは当たり前です。

曰く、何を書いたらいいのかわからない。
曰く、最近とくにイベントなかったので書くことない。
曰く、感じたこと考えたこと書けって言ったって、何も思わなかった。

そりゃ、当たり前なんです。
実は「感じたこと思ったこと」なんてもんは、「書く」という行為自体の中から生まれてくるものなんです。
原稿用紙に向かわずともいい。メモでも走り書きでも何でいいからテキトーに「書く」中から内容のイメージなり形なりが浮かび上がってくるもんなんですね。
実際に書き始めることで、「そういえばこんなことがあったな」「あ、こんなこと思ったな」「これも書いてもいいかも」といった具合にアイデアが生まれてくるわけなんです。
それを鉛筆も持たずに机の前でうんうん唸ってたって、実はアイデアなんて何も生まれてきません。

とはいえ、それは子どもたちのせいではありません。
やっぱり何でもいいから「書く」機会が与えられなければ。
繰り返し繰り返し「書く」時間が設けられなければ、記述することによって生まれる思考のリズムなんて身につきません。
だから逆にいえば、子どもたちが文章を書けるようになるには、どんな内容でもいいしどんな悪文でもいいから、とりあえず繰り返し定期的に文章を書くと言う作業に慣れさせる必要があるんですね。
しかも、一旦書き始めて集中しているようなら、なるべくそれを止めない。止めさせない。
一気呵成に書き上げさせる。
もちろんアドバイスを求めているようであれば中断してもいいですが、できるだけどんどん書かせることです。
で、出来上がったものを可能であれば褒めてあげる。
それを繰り返すことで、文章を書く楽しみを覚えられるのみならず、「書く」という行為のリズムーー文章のリズムと、そして書くことによって生み出される思考ーーを身に付けることができます。

実際、定期的に書いている子どもたちは、こちらがどんな題目を与えても、それこそテキトーに文章を作成し構成します。スラスラ書いちゃうんですね。
功利的なことをいえば、こうした能力こそ都立中高一貫校の作文試験で求められていることの一つなんじゃないかと思います。
例えば今年の都立武蔵中の試験は「自由」について書けというもんでしたけれども、そんなもん普段から考えてる小学生なんかいません。
しかも試験ですから時間的制約があってじっくりその場で考えるなんてこともできません。
やっぱりテキトーとは言いいませんがその場でメモなんかを「書きながら思考をまとめていく」作業を普段からやってる人間じゃないと、なかなか厳しかったんじゃないかと思いますね。

ともあれ定期的に繰り返し、何でもいいので「文章を書き続ける」こと。
子どもたちの文章能力向上には絶対に必要な環境だと思います。

ああ、今日はやっぱり体調のせいかいつも以上にとりとめのない、ほんとに私の「文章練習」になっちゃいました。
まさしく「何でもいいから書く」状態。
でもまあ、大人の方も含めて少し文章表現の力をつけたいなと思っていらっしゃる方は、こんなもんでもいいのでテキトーに文章をでっち上げてみてください。
お粗末様でした。

それでは、それでは。