「読書好き」を生む処方箋

どうもどうも。
いよいよ蒸し暑い季節がやって参りましたが皆さんいかがお過ごしでしょうか。僕はもうへばってます。「暑い」というより、この「蒸し暑い」というのが、低気圧に体調変調しやすい僕としては、ほんとツライです。と書いてて思いましたが、一年中なんかしら季節に文句言ってますね、このブログで。

さて、そんな感じで、もう夏。ということで、V-netのHPにも、夏休み中の企画レッスン告知が、いろいろ出始めてますね。
私は今年もまた、「読書道場」やります。
他にも、作文や国語記述のレッスンをやりますが、個人的にはこの「読書道場」をゆっくりでも人が来ずとも定着させていきたいんですよね。

何となれば、やっぱり読書、というか本を習慣的に読んでることって、ほんとに大切だと思うからなんですよね。最低でも、それが苦にならないって状態。

僕は十代のころ不登校になって高校中退して、まあ大学受験まで全くまともに勉強なんてしませんでしたけれども本だけは読んでました。
おかげでやっぱりいざ勉強しようと思った時に参考書含めいろんな本を読んだりして、ほとんど「独学」でも何とかなりましたからね。
まあ、そのあと10年に渡っていろんな大学学部を渡り歩くことになった原因も「本好きのせい」と言えなくもないんでその点ビミョーなんですが、ね。。。。

まあ、もっと近視眼的な観点で見たとしても、単純に読書が好きで「国語」に困ることは、ほとんどないです。
自分の子どもを小学生くらいの間、いや中学生でもいいと思いますが、「読書好き」にさえできたなら、教科としての「国語」に関しては、はっきり言ってほとんど人に習う必要は大学受験まで出てきませんよ。
大学受験だって、種々の技術を習う必要はあるでしょうが、それも「得意教科を盤石にする」作業になるはずです。古文や漢文さえも、「読書」で培った読解力があれば、普通の人より100メートルくらいスタート地点が先にある感じで学べます。

でも、そんな簡単に「読書好き」にできれば、苦労はないですよね。
ただ、以前も書いたように思いますが、いくつか「処方箋」はあります。

一つはリビングなど、いくらでも目につくところに本を置いておくことです。
その本は、いろんな種類の本を置いておいた方がいいですよね。
兄弟がいれば、お兄ちゃんのちょっと難しい本を置いておいてもいいし、妹用の絵本を置いていてもいい。
もちろん、お父さんお母さんの本を置いておくのも大切でしょう。
その子どもの年齢にあった本、というのはなかなか難しいもので、3年生でも絵本が好きな子もいれば、まだ小学高学年なのに物理学を簡単に解説してくれた本が好きな子だっている。
ちなみに僕は幼稚園だか小学低学年だかの時分のお気に入りが子ども版の「旧約聖書」でした。まったく神とか信じてないので完全に意味不明ですが。

次に、上の内容とも関係しますが、その子の読書傾向を批判したりしないことです。
読書の好みなんてものは、その子の成長度によってどんどん変わるものなんですから、中学年で「怪傑ゾロリ」が好きだろうが高学年で「ラノベ」ばっかり読んでいようが構わない。
最悪マンガであっても、いいんです。最近は、マンガすら読まない子も多いですからね。
いずれにしろ、本人が好きで読んでるのに、それを簡単に否定しちゃうと、とたんに読書は「自由」なものではなくなります。
あくまで読書は趣味でなければいけないし趣味だからこそ習慣化するのです。
誰だって、自分の「趣味の時間」に干渉されるのはイヤですよね?

でも、やっぱり他にも面白い本はあるんだし、いろんな本に興味を持ってほしい。
そう思うのも当然でしょう。
そういう場合は、自分が読んだ感想なんかを、さりげなく食卓の話題などにして、「その本自体の面白さ」を伝えることです。
当然、その本をリビングに置いておく。
もちろん、それで急にその子がそういう本を読んでくれるはずはありませんけれど、「そのうち読んでくれるかもしれない」くらいのスタンスが大切です。
押し付けるのは、よくない。それは「趣味」の「自由」をやはり奪います。

ある高学年のお子さんを持つお母さんは、自分が読んだ面白い本(これはホントに「面白い本」で巨大ザリガニが日本を襲うとか、そういう類のエンタメ本でした)を次々と息子に与えて、しかもそれが息子の机の上で「積ん読」状態になってるのも気にせず、また新しく本を購入して自分で読んで感想を言いそれを息子に与える、という行為を1、2年続けることで、実際に息子を読書好きにするのに成功していました。まあ、このお母さんにそんな意図はなかったのでしょうけれど。
この例からもわかるように、変な「邪心」は持たず、あくまで「さりげなく」すすめるのがポイントでしょうね。

すすめるのが難しいならば、絵本を読むように「読み聞かせ」してあげることも良いでしょう。
これは実際、私が「読書道場」でやってることです。もちろん、なかなか小学高学年以上のお子さんにご家庭で行うのは難しいでしょうが、低学年、人によっては中学年くらいの子どもに対しても効果的です。
「もう小さい子じゃないから」「自分で読めるんだから」などと思わず、ちょっと「実験」してみたって損はない、ぐらいの気持ちでやってみると吉です。
意外なほど、子どもはその時間、ちゃんと話を読み聞いてくれますよ。

そして、最後に。
これはまあ、当たり前って言えば当たり前なんですが、親御さんのうち、お父さんでもお母さんでも良いので、どちらかが「本好き」である姿を子どもに見せてあげること。
それこそ、ジャンルはなんだっていいと思います。
つまらない新書でもいいし歴史が好きなら歴史の本でもいい。
もちろんミステリーでもSFでもいい。なんだったら、マンガでもいい。
何にせよ、大人自身が休みの日なんかに読書する姿を見せて、「本を読むのってめっちゃおもろいんだぜ」って感じの態度を見せてあげることが大切です。
僕の生徒の中には「スターウォーズ」が好きな子が多いんですが、その場合は大抵、お父さんが「スターウォーズ」好きです。
どんな「趣味」であれ、やっぱりお父さんかお母さんが「ハマってるもの」に、小さい子どもほど惹きつけられやすいと思います。
読書だって、これと同じですよね。

さてさて。
ほんとは今日は「国語力とは何か」みたいな話を書くつもりだったのに、どうしたことでしょう。
またしても、とりとめもなく書き散らかした結果、読書の話だけで終わってしまいました。まあ、国語の話は次回にでも(ほんとか?)。
とりあえず、その「読書道場」含めた、夏用企画のサイトを宣伝で貼っときますので、興味がありましたら、ぜひ。

それでは、それでは。
http://www.vnet-consul.com/lesson/speciallesson/

 

 

V-net奥多摩ノックハウスあるいは九十九亭そして今のところ前田先生のおうち

どうも、どうも。暑かったり寒かったりとようわからん気候が続いておりますが、皆さんはいかがお過ごしでしょか。僕はまたしても風邪をひきそうです。

それはともかく、今日はやってきました。って、どこにかって?

それはもちろん、奥多摩へ。

そう、つまりV-net前田先生が苦労の末に手に入れたV-net奥多摩の拠点であり前田先生のマエスク開講場所でありしかもこれから私含めていろいろ文化的自然的遊戯的かつ学問的企画の開催場所とする予定の古民家です! 名前はまだ、ない。(奥多摩ノックハウスという名前が良いんじゃないかとも言われているがしかし僕はもともと九十九亭などという名を提案したりもしたような気がするのだった)

今日、僕は授業がお休みだったので、それを良い機会とやってきたわけですよ。

いや、めっちゃいいところですよ!!

「古民家」というけれど、建物はそんなに古さを感じないし水まわりもきれいだし何よりすごく広い! もともと平屋だったはずのところをリフォームして二階まであるし。(まあ掃除はめっちゃ大変だったろうなあと想像できるし前田先生自身言ってましたが)

もちろん畑もあって庭では焚き火ができる。屋内には囲炉裏がある。そして個人的には縁側が素敵!

と、興奮さめあらぬ感じで書いておりますが、それは今まさしく僕がその古民家中をうろうろしながらスマホでこのブログを書いているからにほかならない。前田先生は別部屋で仕事をしております。そう、僕が多動症的にうろうろしておっても気にせず他の作業ができるくらいの広さなのです。

今、マエスク以外にもここでやる企画をいろいろ考え中です。僕個人は春休みや夏休みに行ってる「読書道場」をこっちでもやりたいなあなどと企画中。

ともかく。何らかの形で生徒たちともこの場所を共有したいですね!

この後は涼やかな古民家内で読書したあと焚き火を堪能するつもり。ということで今日は短いですが、この辺りにしたいと思います。

それでは、それでは!

「アスペルガーっぽい」「ADHDっぽい」の「っぽい」にこだわる

どうもどうも。

さて先日ASDないしADHDにちょっとだけ関係ある記事を書いたら、なぜだかいつもよりアクセスが増え特にいつもは無反応なFBからのアクセスがえらい増えてました。
これはやっぱり世のお母さんたち、あるいは子育て世代にとってこういう問題が切実だからなんでしょうね。ウチ含めて。

実際、V-netに相談にいらっしゃる保護者の方の話なんかを聞いてみても、やっぱりこの数年、「うちの子はちょっとアスペルガー気味で」とか「いわゆるボーダーみたいなところがあって」などと話の最初にそういう断りを入れる方が増えているように思います。昔に比べて。
また逆にいうと、そういう「アスペルガー」とか「ボーダー」とかって言葉が人口に膾炙したってことでもあるんでしょう。

でも、だからこそ。
少し気をつけてみたいとも思っています。

私もまあ、こういう商売ですし前のブログでも書いたようにウチの子に多動的なところがあるのもあって、結構そういう関係の本を読んでます。
で、そういう本を読んだことのある人、いえ本じゃなくてもそういうネットの記事とかでもいいんですが、そんなのを見ると、きっとおそらく多くの人が、「あれ、これ自分にも当てはまるんちゃうん」と思うんじゃないでしょうか。
特にADHD、いわゆる注意欠如多動性障害のチェックリストとか見てごらんなさいよ。
私はもちろん、ウチの妻なんかも当てはまりまくり。
例えば私。
・じっとしていられない
・しゃべりすぎ
・ずっと着席していられない
・着席中手足もじもじそわそわ
・順番待ちが苦手
・静かに余暇を過ごせない
・相手の質問が終わる前に答えてしまう
とある本でのチェックリストですが、なんと9個中7個のヒット。超高打率。
ということで、きっと今の時代だったら確実に「診断」されてしまっているのでしょうが、さてさてでもそれって本当ですか?
いや、まあほんとなんでしょうが、でもここではっきり言っておくと、

「ボクは多動的であることで困ったことなど1度もない」

のですよ本当に。
なんか先週娘について書いたことと若干矛盾するんですが、まあそれが親ってものの業なのでしょうね。自分は平気でも子は心配。
でも本当にそうで、僕はきっと周りから見れば奇異な子どもだったんでしょうが、本人は別に大人になるまで自分の変なところには気づいていませんでした。少なくとも日常生活では。
それは先週、心配のタネとして話題にした娘もそうで、宿題に2、3時間かかろうと親が心配してるだけで本人はいたって平気な顔してます。

さらにいうと、子どもの頃の僕にはいわゆる「アスペルガーっぽい」ところも散見されただろうと思います。
つまり「周りの空気が読めず、こだわりが異常に強い」子どもでした(なお、この辺りの要素ももれなく子どもに遺伝している模様)。
ただ、実はちゃんと類書をいくつか読めば、この程度のことでアスペルガー症候群含むASDという診断は下せません。
これらはせいぜい「アスペルガーっぽい」という程度の、性格的偏向にすぎないものと思います。
でもそれですら、上のADHD的傾向とあいまって、もしか医者にかかっちゃったりしたら、きっと「診断」されて薬なんかを処方されちゃっていたかもしれませんよね。今の時代なら。

で、何が言いたいかというと。

「 ADHDっぽい」「アスペルガーっぽい」「ボーダーっぽい」。
この「〜っぽい」程度のことであれば、かなり多くの子どもはもちろん大人も当てはまっちゃうってことです。
自分自身はもちろん、周りの人々を思い出してくださいよ。
どこかしこに「っぽい」という人はたくさんいるんじゃないでしょうか?
ちなみに私はV-netの先生方含めて、知人友人の実に九割が当てはまります。ひどいなさすがに。

じゃあ、そういう人たちに医者の「診断」は必要か。薬物その他は必要か。
もちろん必要ありません。みんな立派な大人だし結婚もしてますし子どももいます。子どもはみんな変わり者かもしれませんが。
それぞれに子ども時代、それぞれの挫折があったことは確かでしょう。でも、それでも今のように「記号」のレッテルを貼られたわけではなかった。

もちろん。
実際には「〜っぽい」ではすまず、深刻な学習障害を抱えていたり、日常生活に困難を感じている子どもたちやまた大人もいます。
そんな子どもを抱えるお父さんお母さんの気持ちを考えると、本当に胸に太い針を刺されたような痛みを覚えます。「〜っぽい」子どもですら心配なのですから、そうした保護者の方々の心配は察するにあまりあります。
そうしたケースにおいては、きちんとしたメソッドに従った処方が必要な場合もあるかと思います。

ただ、そうでない、「〜っぽい」の場合はどうか。
いやもちろん「〜っぽい」であっても、そうした傾向も「飼いならせた」方がいいに決まっているので、いろんな教育メソッドに触れていくのは大切でしょう。
でも過剰な「診断」に基づいた心配をする必要はない。

あれ? おかしいでしょだって先週アンタ、心配なのはそういうことじゃなくて「今」の問題だとかって言ってなかった?
そんなツッコミが聞こえてきそうです。
そうなんですよね。
問題は、学校。というか日本人特有の、「空気を読む」必要が生じるような共同体的集団なんですよね。
これは学校だけでなく会社なんかの社会組織もそうなのかもしれません。

これについては、とりあえず「複数のコミュニティ」を持つこと、の大切さをここでは言っておきたいと思います。さしあたりは。
子どもであれば芸術でもいいし何でもいい。絵が好きなら絵画の教室でもいいし運動が好きならスポーツチームでもいい。もし勉強が好きなら、民間の教育機関でもいい。
その子の特性にあった、「居場所」となり得る習い事を見つけてあげるのがいいでしょう。
そんな「居場所」が他にあれば、学校にたとえ馴染めなくとも、その子なりに対人関係を学び、また自分なりの成長の仕方を見つけるはずです。
手前味噌ながら、V-netもそんな場所であれれば、と私などは密かに思っています。

学校以外に、自分のアイデンティティを確信できる「居場所」を持つ。
そうすることで、「集団生活に馴染めない」自分というものを相対的に捉えていって欲しい。
「集団生活が嫌い」っいう部分、個性が自分にはあるんだな、程度に思えるようになってほしい。
実際、それは個人の特性の一部分をなすにすぎないのですから。

学校なんてどうでもいい。
少なくとも学校をアイデンティティの場にしない。
そうなふうに親子ともに思え、また考え実行できれば、「〜っぽい」ことの心配なんて、大したことではなくなるんですけどね。
私自身、ほんとに自戒を込めて、思います。

では、今日はこの辺りで。
それでは、それでは。