「不登校」にこそ必要な「居場所」

どうもどうも。
いやー、いよいよ梅雨もあけて毎日がめっちゃ暑いというかサウナのような暑さですが皆さん如何お過ごしでしょうか? 僕はもう外に出たくありません。亜熱帯気候日本へようこそ。

さてさて最近、このブログでは不登校とかADHDとかに関する記事が多いわけなんですが、その理由としては、やっぱりもちろん僕も教師である以前に一人の親なわけで、自分の娘がだんだんとそういう悩み、トラブルに直面する機会が多くなってきたからなのであります。
娘自身の問題もそうですけれども、やはりその友達やクラスメートの問題なんか見てると、先回のブログでも書きましたが、あーやっぱり学校のシステムの中だとなかなか上手く立ち回れんよなーと思うケースがほんと身近でもありまくりなんですね。

と同時に、V-net。
これはもうウチの特色なんでしょうけれど、やっぱり単純に勉強の悩み、というだけじゃなくて、私立公立かかわりなくいろんな学校での問題その他ありまして、そういう悩みを抱えた親御さんあるいは子どもたち自身が、松永先生に相談にいらっしゃる。とりあえず「サイコロ音読道場」に参加してみる。あるいは僕含めて各先生に勉強習いつつ各々もろもろの問題の解決をはかる。
と、こういうケースが多いというかほとんどなわけで、そういうことからも、どうしてもブログの記事もいろんな教育問題について筆が滑っていくというわけなんですね。そう、今もまさに。

で、これはもう手前味噌でしかないんですが、そうやってV-netにいらっしゃって、しかもいろんな形で長く通ってくれた子どもたち、これがもういつの間にか、すごく「調子のいい感じ」の中高生あるいは大学生大人に成長してくれておるんですよ。
いや、少なくとも焚き火に来たり僕らのレッスンを受けたりしてる時は、「調子が良さそう」に見える。
もちろん、それは何も問題がなくなったって意味じゃありませんよ。
その間も親御さんからは色々なトラブルや悩みの相談を受けますし、色々な理由で僕たち自身が子どもたちを叱責することだって、ままあります。
ありますが、そんな中で親御さんとも密にコミュニケーションをとり子どもたちとも怒りも笑いも共有していくことで彼彼女らの「調子」を整え、そうするといつの間にやら「調子が良さそう」な「大人」に彼彼女たちはなっている。

まあ、きっとでも、そういう場所はV-netだけじゃないんだと思います。
そういう意味でも、ほんと手前味噌。
なんですが、ともかくも、その子にはその子に合った「場所」ってもんがきっとある。
学校では、なかなかそれは難しいかもしれない。もちろん学校が合えば、いうことないですが。
でも、学校に合わなくとも、その子の性質に合った場所、ってのがきっとあります。
まだ小さいお子さんなら、それは習い事かもしれないし、中高生なら趣味のサークルかもしれません。もちろん、オルタナティヴスクールとかかも。

で、どうしてこんなことを書くかというと、何度かここでも書いていますが、人には複数の、「居場所」が必要だと思うからです。
それは「社会」と言い換えてもいいかもしれません。

このブログでは何度か、「不登校」でありながら、とっても「調子のいい」子どもたちについて書いてきました。
ですが、当然ながら僕の知らないところで、「調子の良くない」状態に今も悩んでいる不登校の子ども・親御さんはいるに違いありません。
では、どういうケースの「調子がよくない」のか?

もちろん、実はそんなもん千差万別で、簡単に「こうすればいいです」って解答があれば、世の中から不登校なんてなくなってるし引きこもりもニートの問題も解決してます。
だから、絶対に簡単には言えないし言ってはいけないんですが、ただそれでも遠慮がちに少しだけ書かせてもらうと、それがこの「居場所=社会」って問題です

先々回のブログで、「〈ふつう〉にこだわるのは良くない」って話をしましたが、その具体的なことが、これ。
つまり、いろんな理由で不登校になった子どもたち・その親御さんが、まず最初に考えてしまうのが、子どもたちにとっての既存の、そして〈ふつう〉の「居場所」である学校、ここに戻りたい、戻したい、と思うことなんですね。

別にこれは間違いじゃありません。
不登校にも色々あって、僕はこれを仮性近視にちなんで「仮性不登校」とでも呼ぼうと思うのですが、学校に行ったり行かなかったりを繰り返す子どもの中には、それこそ高校進学などを機に、普通に学校に通うようになる子もいます。
だから、一概に「学校に行きたくないなら行かなくていいじゃん?」っとお気楽に言うのもどうかと思います。
しかし、例えば半年、一年と学校に通っておらず、転校などの転機があっても不登校を繰り返す場合、これを無理に学校に行かせようとするのは、やはり難しいように思います(何度も言いますが、あくまで一般的なケースにすぎません)。

ただ、ここで苦しいのは、実はむしろ子ども本人が「学校に戻りたい」と思っているケースも多い、ということなんですね。
学校に行かなくなる理由はそれこそ千差万別ですし、また理由はどうあれ不登校が長引くともう自分の意思では如何ともし難く、学校には行かないのではなく「行けない」のですが、そういう実際の行動とは無関係に、「出来れば学校には戻った方がいい」と、こう思う子どもは多いものなのです。

なぜって、それは当然。
学校はそれまでの子どもたちにとって、所属していて当然の「居場所=社会」だったのですから。
そこから脱けてしまうことは、相応に恐怖を感じることなのです。

大昔の話で恐縮ですが、かつて少年だった僕が不登校になり始めた頃、藤子不二雄A氏作の「明日は日曜日また明後日も」という漫画を何かをきっかけに読んだことがありました(ずっとタイトルは忘れていたのですが、どうやら有名な漫画らしく検索したら、すぐ出てきました。。。)。
これがまあ会社に行けない過保護に育った男の話なんですが、今でいうニートあるいは引きこもり。これを今から30年前。中学生だった(が学校には行ってない)僕が読んじゃったわけなんです。

トラウマですよ。強烈な。

漫画読んでこれほど鬱になったのは、「デビルマン」漫画版でヒロインが生首姿になっているのを小4で立ち読みして以来のことでした。
どれぐらい衝撃トラウマだったかというと30年経った今でもはっきりお話を覚えているくらいのトラウマです。
ちなみに確認のためさっきネットの試し読みで読んで再び吐きそうになりました。それぐらいです。

つまり、学校に行けない僕は、こうなるかもしれない。
もう二度と、この「社会」に復帰できないのかもしれない。

学校=「それまでの既存の社会」に戻れないかもしれない、というのは、そういう恐怖を喚び起こすものなんですね。
だから、なんとか学校に行こうとは思う。実際に行けば、その場で嘔吐してしまうのに。

では、ほとんど「呪い」ともいえる、こうした状況からどうやって抜け出たのか。
僕の場合にすぎませんが、やはりそれは新たな「居場所=社会」を発見できたことでした。
16歳で大検を取得するために通った予備校。
ここで僕は運良くというか何というか、当時自分より年長だった品行方正とは決して決して言えない何人かの友人と出会ったのですが、その友人たちそれぞれの生い立ち境遇が本当に悲惨この上ないものでありすぎて、正直、「学校行かんかったとか引きこもってたとか、そんなん全然マシやんけ」って気分になったことでした。
だって塀の中にいて、リアルに「社会」から隔絶されてた人とかいるんだもん。

で、そういう友人たちと新たな人間関係を構築し、つまりは新たな「社会=居場所」を作ることができたことが、僕の場合は数年にわたる「不登校→引きこもり」的状態から脱するきっかけになったのでした。

で、これは個人的な話にすぎませんが、V-netの子どもたちはもちろん、他の諸々のケースを見たり聞いたりしていても、やっぱり新たな「社会関係」を子どもたちが見つける、構築する、ということが「呪い」を解くためには重要なんじゃないかなと。
それはもちろん、定期的に通うような場所じゃなくて趣味のサークルでもいいし何だって構わないと思うんですが、子どもたち自身がそういう場所に出会うこと。
おそらく出会うまでにはいろんな所に出入りして、これも違うあれも違うとやっぱり苦しむでしょうけれど(やっぱり僕は社会不適合なのか!?と思うでしょうが)、それでもいずれは気の合う仲間や「居場所」を発見できると思います。

そして、その場所できっと学ぶことができるはずです。
「 社会」と、それらを織りなす価値観は、決して単線的なものなどではないということを。
「人生」を生き抜くための志向は、常に多声的なものであるということを。

こうしている今も、まさに上記した「呪い」に苦しんでいる子どもはたくさんいると思います。
そうした子どもたちが、一刻も早く「自分の居場所」に出会えることを、僕は心より願っています。

それでは、それでは。