教育と「時間」:焚き火の会、諸々

どうもどうも。
梅雨が明けたと思ったら、むしろ曇り続き。で、じゃあ暑さはやわらぐかと思いきや湿度がすごい高くて1日中もわーーっとしてる暑さが続く今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。僕は湿度のない国に行きたいです。

さてさて、そんなもわーーっとしている中、この月曜日、V-net恒例・焚き火の会に行って参りましたよ! しかも家族で。
今回はクソ暑いので奥多摩百間茶屋キャンプ場!
山に囲まれ川で遊び滝壺に飛ぶ!
都心はもわーーでしたが、川べりはやっぱ涼しい! 最高っす。

今回はそう、もう書きましたが家族で参加です。
奥多摩は車で行けるので、毎回夏は家族で参加しているのですよ。
(千葉も車で行けるし行ってるではないか。とお思いでしょうが、ウチの奥さんは高速を運転するのが恐ろしいので千葉には行けないのですよ。え? キミが運転しなさいよって? ハハハ、わたくしは父親が自動車会社に勤めていたにも関わらずエディプス的なコンプレックス的な何かでしょうか、運転免許を持っていないのですよ。素晴らしいでしょう)。

まあ、そんなことはどうでもいいのですが、今回も子どもさんたちは元気いっぱいでしたよ。
相変わらず奥多摩の川水は夏でも冷たいのですが、関係なし!
飽きもせずルーティンのように川に飛び込む滝壺に飛ぶ!
唇は紫色! でも飛ぶ!跳ねる! そして泳ぐ!
寒くなりすぎたら焚き火に当たって豚トロを食し超辛いタイカレーを罰ゲームか何かのように食し苦悶の表情を浮かべながらそしてまた川に泳ぎ飛ぶ!
そんでもって気がつけばウチの娘も飛んでるではないか!

いやー子どもが楽しそうにしてるのは、ほんと良いですね。
「遊ぶ子どもの声聞けば / 我が身さえこそ揺るがるれ」って『梁塵秘抄』が謡う通りであります。

そんな中、今回は参加されていたお母様のもらした一言が印象的でした。
「ほんと、スケジュールがないのが良いですね。一日中、好きに時間を過ごせるんですね」

言われてみれば、ほんとにそう。
まあ、僕たち教師自体がスケジュールに縛られるのが嫌い。なので、自然にこうなってるわけですが、普通の「自然教室」的なヤツって、まあウチも家族でいろいろ参加したことありますけど、何か定刻にイベントを用意したりして、「時間」のスケジュールを何かしら消化しようとしますよね。

でも、ね。
そういうのって、学校とかだけで十分じゃないですか?
みんな揃って何かしなきゃいけないのって、しんどくないですか?

なるほど。
確かにスケジュールにしたがって、何事かを整然と進めていく、という行程に慣れることも必要でしょう。
大人の社会はそんなことばっかりです。
それに従えないと、僕みたいな大人になります。ひどいです。

でも、子どもの時から、何から何まで「時間」に縛られてるなんて、やっぱりつまらんですよ。息苦しいです。
子どもの頃くらい、「時間」を気にせず、五時のサイレンを気にせず、自分たちのルールで、自分たちが決めた「時間割」で一日中遊べる日があったって、いやたくさんあったって、いいですよね。

考えてみれば、ほんとに僕たち日本人の社会は、何でもかんでも「時間通り」です。
それは日本人の「美徳」とされます。
電車は時間ぴったりにやってきて、バスでさえほとんど遅延しない。
配達は「時間指定」で届けられ、始業に遅刻する人もほとんどいない。

素晴らしい社会です、ね。

でも、ときどき息苦しい社会です。
電車は時間ぴったりに来るけれど、少しでも遅延すると、車内から舌打ちが聞こえる。
配達は「時間指定」で来るけれど、それはドライバーさんの疲弊に支えられている。
始業にみんな遅刻しない代わりに、抗うつ剤を飲んでいる。

素晴らしいけど、「幸福」なんでしょうか?

ある有名人の方が、「電話をかけてくるヤツは人の時間を奪うことを何とも思わないヤツだから嫌い」的なことをネットの記事で言っておりました。
まあ、その通りです。僕も電話は好きじゃありません。別にメールも好きじゃありませんけど。
でも、この方が言っていたことの本意は別にして、「時間を奪われる」ことって、そんなに嫌ですか?
無意味な時間があるのは、そんなに「悪」でしょうか?

でも、人生なんて、究極的には「無意味」なもんじゃありませんか?

少なくとも、教育は「無意味」な時間にあふれています。
いえ、「無意味」な時間がなければ成り立たないものです。

授業中の一見、無意味なおしゃべり。
授業が脇道にそれて話される小話。冗談めいた物言い。
生徒たちの「人生相談」。保護者の方々の「心配相談」。
時々の説教。子どもたちの涙。

全部、「時間」的効率を重視するなら、「無意味」で「無駄」なものばかりです。
でも、これらがないと生徒や親御さんたちとの信頼関係は生まれないでしょうし、何より「真面目」で「脇道」にそれない授業ほどツマランものはありません。
だからこそ、僕は、僕たちは子どもたちとかかわる際には、「無意味な時間」こそを大切にしたいと思っています。

「無意味な時間」の蓄積こそが、子どもたちに「教養」を、「夢」を、そして「幸福」を授けてくれるものだと信じています。

今回は焚き火の会の報告にしようと思っていたのに、またもや書きすぎました。
どうも、一回書き出すと長くなるな。。。ともあれ、まあ今日はこの辺で。

それでは、それでは。