いろんな生徒がいる話

どうもどうも。
前の記事からけっこう時間が空いちゃいましたね。毎年のことながら、やっぱり受験シーズンが近づいてくると、けっこう忙しくなってきちゃって、なかなかブログを更新できません。

いや、今、受験シーズンが近づいてくると、と書きましたが、実のところ最近はそれこそ十年くらい前と比べると、生徒の感じもいろいろ変わってきていて、単純に中高大学受験のためだけにレッスンを受講する生徒以外にも、国語や社会あるいはそれこそ勉強全般を深く学びたいって感じの生徒が増えています。いや、もちろん受験生もたくさんいるんですが、それ以外の生徒もけっこういる。実にバラエティ豊かなんですな。

例えば昨日は4コマのレッスンをやったんですが、朝一番の1コマ目は通信制高校に通う元不登校の生徒。この生徒とは普段は英語学習をやってるんですが、月一回だけお楽しみ&国語学習をかねてリベラルアーツ的学習をやっております。
先月は『隷属なき道』(ルトガー・ブレグマン著)という著作の一部を読んで、ベーシック・インカムについての解説を行い彼と議論いたしました。
で、昨日は過日に選挙もあったとうことで、ルソーの『社会契約論』の一部分を読んで、社会契約論の概念的説明を行ったのち、ルソーのいう「一般意志」についての僕なりの解釈解説を行いました。
こうやって書いてみると、なかなかすごいことやってるみたいですけど、あくまでこれは「お楽しみ」を兼ねてやっていること。ちゃんと生徒の関心に合わせてレッスンすれば、面白がって聞いてくれるし議論もできるものです。まあ上のような内容が「関心にあう」ってこと自体、大したもんですけどね。

その後、お昼を挟んでの午後一番のレッスンは、これまた高卒認定試験を再来週に控えた男子生徒。
再来週に試験ということで、国語の古文漢文の復習を過去問使ってちょこっとやったのち、日本史の近代史のレッスン。
過去問使ってちょこっと、と書きましたが、この生徒が古文に触れるようになったのは、この一年ほど前からのこと。漢文にいたっては、せいぜい2、3ヶ月前です。
にもかかわらず、この生徒は非常に頭が良くのみこみが早いのか、高卒認定試験の問題とはいえ、ほとんど間違えることがありません。
もちろん、古文に関しては一年とはいえ、けっこうやってました。と言っても文法がどうこうといったレッスンではなく、ただひたすら平家物語を読むというもの。
平家物語は内容が面白いのと読解も平安期のものに比すれば、やや易しいので読んでいたんですが、これがけっこう利いているのか、一、二回ざっと文章を読めば、よほど難しいものでない限り、内容が一応了解できるみたいです。
この生徒は日本史や世界史への関心もけっこう高い上に、英語もかなりできるので、再来週の試験の結果が個人的に楽しみです。

さて午後二発目。大学受験の生徒です。
彼女とは実は小学校からの付き合いです。なんと「音読サイコロ道場」を始めた頃に通っていた生徒。いやー時間がたつのは早い早い。
滑り止め的志望校の過去問を現代文、古文とこなしたんですが、先週同じ学校の問題にちと苦労したので警戒していたものの、今週はなんなくクリア。
ただ少々、癖のある問題が多いようなので、今後も受験用の「戦術」を立てていく必要がありそうです。
ただ、むしろ彼女の課題は現代文、というより難解抽象語が並んでいるような、法政治学や経済学等に関する論説文。
もっとも、こういう「難解論説文」を苦手にするのは、彼女だけの問題ではありません。小学校、中学校と国語が得意だったはずの子が、高校生くらいでこうした学問的文章に出会って苦労し始める、というのはよくある話なんですね。文学少女や少年でも、こういう文章、学問に関心がないと苦労している模様です。
一番良いのは、もっと早い、中学生くらいの段階から、種々の学問分野に関心をもって、やや難解と思われるような本にも触れて慣れていくことなんですが、まあ、なかなか個人の努力では難しい。それこそ周囲にそういう環境がないと本を手に取る機会もないかもしれませんね。
処方箋は個人によって様々ですが、まずは文章内の対立概念や、肯定的言説と批判的言説に留意しながら、全体の構造を文を読みながら頭の中で整理できるようになる必要があります。

さてさて、昨日の最後のレッスン。
こちらは小六女の子です。
実は彼女は去年、中学受験を指導した女の子の紹介でやってきた子。真面目で健気なとても良いお子さんです。
いえ、真面目で健気でいい子すぎるかも。。
というのは、女の子の場合は、「真面目」というのが、意外と能力を伸び悩ませるネックになる場合があるからです。
どういうことでしょうか。
前田先生だったかが、去年のブログで、ある算数が苦手だと思い込んでいる女子生徒の「呪い」を解くのが自分の仕事だった、というようなことを書いていました。
そうです。女子生徒は、特に小・中学生くらいの女子生徒は、この「呪い」に実にかかりやすい。
「真面目」なので、テストの成績や塾の先生等、周りの大人のいうことを真に受けて落ち込みやすいんですね。
もちろん、一回のテストなんかでそうはならないでしょうが、例えば塾に入って受験勉強を始めた頃に、何度かテストで悪い点を取って、しかも周囲から「国語がイマイチだね」的なことを言われたりすると、「真面目」な子ほどそれを真に受け「そうなのか。。私は読書も好きで国語も嫌いじゃなかったけれど、本当は国語ができない人間だったのか。。。。」などと悪い意味で暗示にかかってしまいます。その後、むしろその自己暗示のせいもあって悪循環にはまることもしばしばあります。
ですが、入試国語はある種のテクニックがないと、解けるものではないし、また受験勉強を始めた頃の子どもは、時間制限のある中で国語問題を解いたことのない子がほとんどです。ですから、要領のいい子でない限り、最初から点が取れないのは当たり前なんですね。
しかし、「真面目」な子はそう考えない。自分の努力が足りないから、能力が足りないから、成績が悪かったんだと思ってしまう。
ほんとはある種の「要領」が足りなかっただけなのに。
これが「不真面目」な男子であれば、「オレはまだ本気出してないだけ」とか「いや周りもこんなもんだったって母ちゃん怒りすぎ」とか「受験までには何とかなる」とかって考えて、良くも悪くも真剣にはとらえないんですけどね。
で、昨日の彼女も、まさに「真面目」であるがゆえに「呪い」にかかっております。
小説が好きな読書家なうえ、会話の受け答えもしっかりしている。話をきく理解力だって高い方。
レッスンが終わって彼女が帰った後、教室で別に授業をしていた松永先生が、思わず「彼女、頭いい子だねえ」っと感心していたほどです。
本来、国語ができない要素はない。
なのに、本人は「わたし国語できないんですよ」と、すぐ口にする。半ば謙遜だとしても、やっぱり自己暗示も結構ありそう。
彼女については、あと数ヶ月、国語のレッスンを通して、国語のみならず学習全般においてもかかってるかもしれない「呪い」を解くのが仕事になりそうです。

さてさて。本当は今日は、「国語ができないっていっても、いろんな種類の出来ないがあるんだぜ」って話を書こうと思ってたんですがね。
話の枕を書いてるうちに、それが本題になって、生徒紹介みたいになっちまいました。上記テーマについては、また今度。なんせ忙しいので、今日はこの辺りで、すみません。

それでは、それでは。