読書で多様な「読み」を身につけたい

どうもどうも。
明けまして、おめでとうございます。って、もう明けちゃってからだいぶんたってますけど、一応。

いやいや、いつものことですが、今は受験シーズン真っ最中、めっちゃ忙しくてブログ書くヒマもない。というか、休みの日に気力がわかない。まあ、走り書きのメモみたいなもんで大したブログじゃないんですがね。

で、今日は朝から降ってまいりました雪のせいで大事をとり授業が休講。
期せずしてお休みになりましてね。まあ、ちょこっと、新年のご挨拶がてらに記事を、更新しようかと。
受験のことを書いてもいいんですが、それは今、ほんとに佳境も佳境、あっさりした感じで書く気にもなれないので、例のごとく読書のことでも。

何度もいいますが、国語力をつけたいなら、一も二もなく読書です。その次に作文。

で、作文については今はおくとして、読書。
ときどき「ウチの子、本はけっこう読むんですが、国語の点数はさっぱりで……」みたいな話をする親御さんもいらっしゃいますが、それでもやっぱりゆっくりとでも効果は表れます。
小学校ぐらいではパッとせずとも、中学高校に入るころには、娯楽としてでも、よく本を読んでるか読んでないかでは、ずいぶんな差になっています。

だけど、まあそんなことははっきり言って、だれでもわかっていることであって、じゃあ、現に今、全然本を読まない子どもはどうすんだ?ってことですよね。
読書が趣味とならない原因の一つに、それこそ寝食忘れて熱中できるような「面白い」本に出会えなかったことがあると思います。が、この「面白い」は難しい。
人によって「面白い」の感覚は違いますし、単にハラハラドキドキするだけならマンガやアニメで十分っと、子どもが判断してしまうかもしれません。

ましてや、「文学的」といえるような作品の「多義的な面白さ」には、子どもななかなか独力ではたどりつけません。
そこに至る、リテラシーが足らない。
では、どうするのか?
端的に言えば、その「面白さ」に気づけるよう、「読み」の手伝いをしてあげる必要があります。
「読み」の「多義性」に関心を向けられるよう手伝ってあげる必要があります。

例えば、本来「読書会」というのは、そういう役割を担っていたんだと思います。
何人か同じ本を読んだ人間が寄り集まって、その本をネタにあーでもないこーでもないと話し合う。
まあ、楽しみとして行うものなので、途中いろいろ話は脱線するでしょうけれど、そうした会話によっても、本の多様な「読み」に気づかされていく。そういうものだったと思います。

あるいは学校の国語の授業にだって、本来的には、そういう役割が期待されていたのだと思います。
でも学校授業は人数が多すぎるのと、やっぱり先生が「読み」の方向を一つのベクトルに向けてしまいがちです。
何より先生自身が「読書家」でない場合、文章の「読み」がどこかで聞いたことのある、「マニュアル」に沿ったものになってしまうでしょう。

で、そういう「読み」の多義性に気づかされないまま、下手すると国語の試験問題なんかで、完全に一義的な、「正解」とされる「読み方」を押し付けられるようになっちゃって、一気に国語が嫌いになっちゃう。
で、そうなると余計に読書もしなくなる。完全に悪循環ですね。

これを解決するには、さっきも書きましたが、子どもたちから多様な「読み」を引き出す手伝いをしてあげなきゃいけない。
勝手に夢中になって読んでいるのなら放っておけばいいんですが、そうでないなら、さっき書いた「読書会」みたいな場を、雰囲気を、大人の方で作ってあげる必要がある。

例えば、絵本の読み聞かせ。
子どもに絵本を読んであげるとき、単に物語を読むだけじゃなくて、話の先を予想させたり、登場人物の気持ちを想像させたり、いろんな質問をして子どもたちが話に「没入」できる手伝いをしてあげる。
そして、読み終わったら、必ず感想を聞きたい。
好きか嫌いか? 物語の結末が気に入ったか? もし気に入らなかったなら、その理由は? 別のどんな結末がいい?
小さい子どもだけじゃなく、小学校低学年くらいまでなら、親子でそれをネタに話し合えると思います。
もう少し大きい子どもでも、ちょっとした短編を使って、同じことができます。
もちろん、その前提として、親御さん自身がそのお話が大好きで、ぜひ子どもに読んでほしい、という気持ちがないといけませんが。

とはいえ、これがもっと大きい、小学校高学年くらいだと、やっぱり親子じゃ難しい。
「読書会」みたいなことを、子どもが自発的にやるはずもない。じゃ、どうするの?

ということで、現在、以前からやっている「読書道場」を改良しとうと模索中です。
絵本や短編を読んで、質問し、意見を言わせ、書き、話し合えるような場を構想中。

なんだよ結局、授業の宣伝かよと言うなかれ。
読書の重要性は上に書いた通り。
だからこそ、その素晴らしさをもっと生徒たちに「体感」してもらいたい。
単にハラハラドキドキするのじゃない、文章のもつ多義性に「面白さ」を感じてもらいたい。いくつもの「誤読」が許される物語の魅力を感じてほしい。
ここ数年、ずっとこうしたことを考えてきました。

そうしたレッスンを、なんとか春から始動させようと思っています。
乞うご期待。(って、別に誰も期待してないかな……?)

と、今日はこんな感じで短めで。
なんせ明日から、もう受験まで休みもない。ノンストップで「走り」続ける必要がある。いや、走るのは僕じゃなくて生徒なんですけどね。
と言うことで、受験生のみなさん、あと少しなので何とか一緒に頑張りましょう!
最後まで「走り」続けりゃ、きっといいことあるはずさ!

それでは、それでは。