メロスはやっぱりバカだった?

どうもどうも。
近頃はようやく日中の気温も上がってきてちったあ暖かくなってきたかなと思いきや急に寒い朝晩があったりしての三寒四温(誤用)、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

さて、今日は短め。
受験指導もひと段落した先日、個人指導のレッスンで、読書のワークショップを行いました。短い小説を一緒に読んで、それを題材に、意見を言ってもらって作文にまとめるレッスンです。
これ、もうすぐ、ちょっと改良して集団レッスンでも行う予定のものなんですが、個人の指導では少しく前からやってることなんですな。
で、取り扱ったのが「走れメロス」。
生徒は実は個人といいながら兄妹で、インターナショナルスクールに通っていることもあってか、素直な意見をバンバンぶつけてくれる二人です。

実は、この「走れメロス」。
随分と前ですが、このブログで僕自身が解説(?)したこともある小説なんです(2014年のブログですね)。
知っての通り、「走れメロス」は中学の学校教科書なんかに必ず載ってる文章。
で、大抵の場合、友情の大切さとか正直の美徳とか、なんか「道徳の教科書」的な小説として紹介されてることが多い。
でも、ね。
僕の解釈では、そんなことはあり得ない、あの太宰がそんなアホな話を書くわけない。
で、僕はこのブログの中で、むしろこの「メロス」を、主人公を単純バカ人間として描いた、太宰が元ネタのシラーの詩をおちょくって作ったお話なんじゃないかと(半ば冗談で)書いたんですね。

で、先日のレッスン。

爆笑でしたよ!
というのも、生徒二人のメロスに対する評価がひどい!
「このウスノロ、まじムカつくんですけど!」
「セリヌンティウスって無関係っすよね、この案件に!? なに勝手に巻き込んじゃってんのメロスのアホ!」
「友の為に走らねばって、だからお前のせいだろ何自分に酔ってんだよこのナルシストめ!」
とばかり、「兄妹は奸佞邪智なメロスに激怒した」状態。

そこで僕は太宰の小説全般について解説。
めっちゃひねくれ者のアイロニストだってことを告げる。
「そんな太宰が、これ友情の話だよって、本気で書いたと思う?」
あり得ない、とご兄妹。
「じゃ、メロスのこのバカっぷりは、一体何なんだろう?」
と僕が聞いたところ、ご兄妹はすぐさま、
「わざとこんなふうにムカつくバカとして書いてると思う」
「読者に感情移入できないようにさせてるんじゃないか」
僕「何で? 何のために?」
「こんな友情あり得ないって言いたいんじゃない? それか、こんな正直者はおかしいって言いたいのか」
僕「じゃ、このお話の結末はどうなるだろう?」

ご兄妹はバッドエンドを期待していたようでしたが、残念ながらお話はハッピーエンド。
納得のいかない二人にレッスンでは例外的に、結末の多様な解釈について補足的に解説。
詳細は上記の過去ブログを読んでほしいんですが、最後に素っ裸のメロスに少女がマントを手渡すシーン。
これは、いわゆる「裸の王様」のパロディの可能性もあるんだよ(つまり「正直者」のメロスこそが間抜けな「裸の王様」)ってな話をすることで、なんとか納得してくれました。

さてさて、まあ上の兄妹には、こんな感じでボロカスにけなされた「メロス」の物語(まあ、お話自体は気に入ってくれてたみたいですけど、ね)。
でも、他の生徒と読んだら、きっとまた、別の反応でしょう。

だが、しかし。
これを単純な「友情の物語」とか「正直の美徳」とかって方向にのみ読ませようとするのは、無理がある。
そうでなくとも、学校教育の中で、本の読み方を、文章の解釈を「一つの正解」に導くような教え方は、もういい加減にやめたらどうだろうか。
テストでそんな「正解」を問うのは、もっとナンセンス!

そういう「誤読」を封じるデタラメな「国語教育」が、子どもたちから古典文学を読む喜びを奪っていると思います。
いや、もっと言うと「自由にものを考える」能力を奪っている。

微力ながらも、僕のレッスンでは、文章の多様な読解可能性を、子どもたちに教えてあげたいと思う今日この頃です。

それでは、それでは。