三つの大切な国語力

どうもどうも。
すっかり日中は春めいた陽気のなか花粉もめっちゃ飛んでる感じの今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。私は人生史上始めて花粉症になりました、ほんと風邪みたいなのな、これ。

さてさて、受験シーズンも去って、本来なら暇な日常を謳歌しておるはずの3月中旬なのですが、今年はどうしたことか、妙に忙しい。
いや、それ自体はありがたいことでして、受験が終わってからも継続してレッスンを受けてくれる生徒なんかもおりますし、教師としてもこんなに嬉しいことはないのですが、しかししかし暇がない。
静かに家で読書をすることだけを少年時からの喜びとする私としては、素晴らしいことであると思いながらも、この時期読もうとしていたミステリーや哲学書がなかなか読めないのは辛いところでもあります。

しかし、忙しい理由は通常のレッスンのためばかりではなく、この春から開始する新レッスンの準備だとか春休み中のレッスンの準備だとか、そのためのHPの整備だとかに追われているためでもあるんですな。

春から始める新レッスン。
「読書のワークショップ」というやつですが、これは要するに皆で小説を読み進めて、それを元に話し合ったり文章を書いたりするというグループレッスンです。
詳しくはV-netのHP告知をみて欲しいんですが(まあ、告知だけではよう分からん感じなので、さらに後日、より詳細な活動がわかるHPをつくるつもりでいます)、これ以外にも、新年度以後、「作文道場」を若干バージョンアップした「モノ書きくらす」というコースも始めますし、また春季のレッスンでは「論述」に特化したクラスも行います。

なんで急に三つも色々新しく、事を始めようとしてるかというと、要するにこの三つこそが、国語力の「核」であると、最近ますます感じるようになったからなんですね。

まず読書。
これが重要なのは言うまでもない。
読解力=理解力の土台を養うものであり、それに基づく思考力を形作るものでもある。音読とあわせて日本語のリズムを体得することにも効用がある。
さらには語彙力とかって簡単な言い方では捉えられないような、様々な言葉や表現の仕方を体得し、色々な考え方に触れ、思考と想像の枠組みを手に入れることができます。
つまりは単純な「国語力」を超えた、力の土台となるものなのであり、読書は「アタマがよくなる」ために必須の習慣であるといえるでしょう。

だけど、同時にアウトプットも必要です。
それがいわゆる作文。
でも、僕はほんとは作文って言葉、あんまり好きじゃないんですよね。
学校宿題的なイメージが染み付いちゃってるような気がして。
それでコースの名前も変えたところがあります。
むしろ、一人一人が「作家」として、「モノ書き」として「モノ」を作るように、楽しみながら、文章で自分を表現してもらいたい。
そして、そういう文章表現の力さえ身につけられれば、何もほんとに作家にならずとも、いつでもどこでも自分を考えを、感覚を、思いを誰にでも伝えられるようになります。
読書による思考力の充実と、こうした文章表現力はセットで考えられるべきものでしょうね。

そして、さらにさらに。
文章を書く際には、ただ自由に表現できるだけじゃ足りない場面が必ずある。
つまり何かの要求や目的を正確に伝える必要があったり、誰かを説得するためにできるだけ論理的に内容を記述しなけりゃいけない場合が必ずある。
というよりも、普通の社会生活を送っている際には、こちらの方が断然多いわけです。
子ども達にとっても、試験なんかの場面では、やっぱりこうした「論理的な記述」が求められてしまう。
だから僕としては、文章で自由に自己表現する楽しさを知ったなら、次のステップとして、今度は目的に応じて論理的かつ正確に文章を書く方法も伝授したい。
こう考えたのが、春にトレーニングのミニレッスンを設けた理由なんですね。

ともかくも。
やっぱりこの三つの力に尽きると思うんですよね。
読書によって磨かれる理解力と思考力。
自由に文章で自分を表現する力。
そして論理的に文章を整理し記述する力。

この三つの力が鍛えられさえすれば、鬼に金棒、テストの点なんて関係ない。
必ず「アタマがよい」ってふうに評価される主体的な人間に成長できるはずです。

なんて、今日はなんだか宣伝のためのブログみたいになっちゃったな。
でも、書いたことは本当ですよ。

それでは、それでは。