日本科学未来館へ行きました。

どうもどうも。

さてさて、今月、細々とながら始まったヒルネットの活動ですけれども、先週は子どもたちを連れてお台場にある「日本科学未来館」を訪ねてきました。

ヒルネットは今のところ火曜と木曜を中心に活動する感じになっておるのですけれども、そのうち一日は必ず屋外に出てフィールドワークをすることにしております。
で、先週はその活動として、「科学未来館」へと出かけたというわけ。
先々週も実は「東京都埋蔵文化センター」へと出かけて再現された竪穴式住居なんかを見てきていたんですが、うっかり写真とか何も撮ってなかったので特にブログでは書かず。
が、今回はその反省を生かしてちゃんと何枚か写真を撮ってきましたんで、せっかくの機会、ここでも活動の記録を保存しておこうというわけです。

で、10時前に西荻窪、10時半に新橋でそれぞれ参加する子どもと待ち合わせ、いざ「ゆりかもめ」へ。
考えてみれば、僕自身お台場に行くのはめっちゃ久しぶり。
参加してくれたKくんが「ゆりかもめ」から写真バシャバシャ撮ってるのに便乗して、僕も景色をバシャバシャ。

 

 

 

 

 

 

 

僕「あ、ガンダム! ガンダムやん!」
K「お、おう。でもあれは正確にはUCガンダムやね」
僕「いや、でもガンダムやん!? ガンダム大地に立ってるやん! めっちゃ子ども心くすぐられるわーっ」
K「くすぐられるわーってめっちゃ頭悪そうやで。……あ、ほら。周りの人こっち見てるから、あんまりおっきい声出さんといてえや」

などと、はしゃいでいるのは大人1名のみの模様。。。
で、はしゃいでるうちに一駅乗り乗り過ごすという失態をふつうに演じたものの、何とか無事、「科学未来館」に到着しました。

 

 

 

 

 

 

 

「科学未来館」は最新あるいは未来のテクノロジーや、地球環境、宇宙環境、量子的世界のことなんかを比較的わかりやすく展示した博物館。
ほんと難しいことを考えなくとも感覚的に「へー科学すげー」感を感じられる博物館だと思います。
文系人間の僕なんかは、個人的に量子コンピューターの説明なんかが非常にわかりやすく、やっとその原理が何となくイメージできたんですが、やっぱり子ども的にもインパクトがあるのが、以下でしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わおっ! ロボットめっちゃ動いてるやん!!!
特に下の写真のやつですね。
見た目はなんか一昨年みた「エクス・マキナ」っていう映画に出てきたAIロボットみたい。……なんですけど、これがほんと意味なく動き回ってるんですね。
「動作」によって人間と機会の境界性を無化する云々という説明が書いてありましたが、いや、なんかふつうにシュール。。。

もう一つの女性ロボットの方は、横の操作室から動きや仕草をコントロールしているのかな? 来館者に対し、異様にスムーズな受け答え。
子どもたちも、これには興味津々でした。

僕「あれ、横の操作室かなんかで動かしてるんかな?」
K「そうちゃう? 喋りとか、めっさ自然やん。あれはまだAIには無理やろ」
僕「いやいや、せやけど、動きも微妙に不自然とはいえ、けっこうリアルやん? 逆にあれはどうやって操作するんよ」
K「うーん、動きの方はある程度、自動制御なんかなあ」
僕「いや、あいつ、たぶん夜になったら勝手に動き出したりしよるんちゃうか」
K「……」
僕「今も実は操られてるふりしてるだけで……」
K「……ほら、また周りの人が変な目でこっちみてるから、ちょっと黙ろか」

しかし、こんなロボットたちの動きよりも子どもたちが興味を持ってやり続けていた展示物がありました。それが、これ。「未来逆算思考」。

 

 

 

 

 

 

これは未来の災害や環境破壊、文化的損失などを予測しながら、健全な未来を建設するのに必要なことを考えていく、という体験型の展示物だったのですが、これがどうあがいても悲惨な未来にしかたどり着けないという。。。
僕も2回ぐらいやってみましたが、文化的多様性は失われるわエネルギーは枯渇しるわでどう足掻いても人類は破滅するようでした。
これにめちゃくちゃハマってたのが、何でもやり出したら止まらないSくん。
もうええ加減飽きたやろと思っても、執拗に繰り返しておりました。

その他にも、身体の動きを音楽に変換する展示や、ネットの送信原理を実物化した展示、ニュートリノの観測装置など、おもろい展示がたくさんありました。
係の人が話してくれた、人工肉の培養研究の話もオモロかったな。

係の人「じゃあこの中で、人工肉が食卓に並んだら食べてみたいヒト? お兄ちゃんはどう?」(とSくんを指名)
Sくん「イヤや」
係の人「え、何で? 食糧不足を解消するかもしれないし環境にも優しいんだよー」
Sくん「そんなん知らんし、やっぱイヤや」
係の人「え、そ、そうか。一応、理由を教えてくれるかな?」
Sくん「理由て、そんなん気色悪いやろ。人口で作られた肉なんか。おっとろしいわ」
係の人「……」

と、意外な保守性を発揮してくれたらSくんですが、でもみんなやっぱりこんな違和感を感じるかもしれないですよね。
なんか、このディストピア的SF感が怖いというか気持ち悪いというか。。。
でも、この人工肉、数年後にはスーパーとかで売ってても不思議はないくらい研究は進んでるそうです。

……とまあ、こんな感じで結局、夕方3時半まで堪能しました。
帰りにミュージアムショップに寄ろうと思っていたんですが、その時間もあまりなかったくらい。
子どもたちも存分に楽しんでくれたようです。

このフィールドワークの活動は、最初にも書きましたが、ヒルネットのメインの活動の一つとして今後もどんどんやっていく所存です。
というのも、まず僕は、子どもたちに知的好奇心というものを養ってもらいたい。
「勉強」というものを、教室に座らされての反復作業だと思っている、そういう子どもたちの「学問」への偏見を取り除きたい。
だって、学ぶってことは、本当に本当に楽しいことなんですよ。
僕はこの歳になっても、知らなかったことがわかった時、不思議だなと感じたことの原理が理解できた時、脳みそからなんか出てるんじゃないかと思うような快感を感じます。
できれば、子どもたちにも、そうした「知る喜び」「学ぶ快楽」を知ってもらいたい。
そして、何かを不思議だと思うこと、知りたいと思うことは、様々な日々のリアルな体験の中でこそ培われると思っています、
つまり、ヒルネットでのフィールドワークは、そうした知的関心を養うために欠かせぬ「体験」をするための活動なわけなんですね。

さて、次回はどこへ行こいうか。
平将門の首塚へ行こうか。江戸東京博物館も捨てがたい。あるいは古地図を眺めながら知らない街をただ歩いてみるのもいいかもしれない。
いずれも参加者の子どもたちと相談し、彼らが行きたいところに行こうと思います。

それでは、それでは。

 

 

 

桜と新学期と不登校と

どうもどうも。
ようやっと四月らしい暖かさのなか桜もすっかり満開をすぎて花を散らしつつある今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか。僕は花見客は嫌いですが葉桜は好きです。

さて、桜が満開をすぎるこの時期というのは、なんといっても新学期。
新しいクラス、新しい学年、あるいは新しい学校。
多くの子どもたちは期待に胸膨らませ、などということはあまりなく、担任の先生への不安や新しいクラスメイトへの不満なんかをいろんな場所でもらしていることでしょう。
僕も先週、何件も聞きました。それこそおそらく60年くらい前の団塊世代少年少女時代から変わらぬ風景であります。
まあ、それでも桜吹雪の美景と相まって、春は何やら心浮き立つ季節ではあるでしょう。

が、なかにはそうでない人もいる、子どもだっている。個人の資質と関係なく。

またしても恥ずかしげもなく自分語りを行うならば、30年前の僕がそうでした。
いや正確には15歳の春以後の、僕。
学校行ってないんで新年度なんて関係ないんっすよね。
新しいクラスも学年も学校もない。
変わりばえしない日常。陰鬱な日常。桜吹雪だけが舞っている。

だから、春が大嫌いでしたね。

なんだか、自分だけが「何か」に置いていかれるような。
かつての級友たちが確実に「人生」を前に進めて行っているだろうのに、自分はある「地点」から動いていない。
いや、きっと動いているんだろうけど、その変化は自分にも他人にも、はっきりとは目に見えない。
そういう不安を感じる季節でした。

昨日、ふと春の訪れに心浮き立たせている大人になった自分を発見して、そんな大昔の子どもの頃の心境を思い出しちまいましてね。
さらに言えば、今この瞬間にも、きっとかつての僕と同じように、舞い散る桜を見ながら寂寞とした気持ちを抱いている少年少女がいるだろうことを思いました。

こういう小さな小さな哀しみは、人には大抵気づかれないものです。
いや、本人だって気づいてないかもしれない。
僕自身、上のことを明瞭に、言語化できるほどに意識化したのは、実は「新学期」を久しぶりに手に入れた大学1年のことでした。その時、初めて自分が何を喪っていたのか知ったのです。

「不登校」という状況に陥った際、本人が心に受ける傷は、こうした小さい傷の積み重ねなんですね。
いや、そうじゃない。
むしろ、そういう小さい傷が累積した結果が、「学校に行けない・行かない」という状況として現出する、というべきでしょう。

だから、どうして学校に行かないのか? という問いかけに多くの場合、答えることができないのです。
何か、積極的に嫌なことがあったわけじゃない。
いじめられたりしたわけでもない。
ひょっとしたら、友達と小さなトラブルはあったかもしれない。でもそんなことで? と大人は思うのです。
でも、本当はそんなことじゃない。
言語化できない数限りない「喪失」が彼彼女にはあるのです。
彼らはそれを知らない。それを彼らが語る「言葉」を見つけるのは、きっともっと先なのです。

先日、このブログでも記事にしたヒルネットの活動をついに開始しました。
もちろん、まだ生徒は全然いないんですけど、一人参加してくれた少年と、善福寺公園まで、お昼を食べに散歩へと出かけました。

公園の桜は満開でした。
穏やかな陽射し。水面に映える桜。ときおり鴨が目の前を泳いでいきます。

僕たちはそんな景色を見ながら、公園のベンチに座って弁当を食べました。
とても穏やかな時間でした。
口数の少ない彼が、徐々にいろいろな話をしてくれるようになりました。
ゆっくりと時間をかけて公園を一周して帰りました。

一緒に見た、今年のあの桜が、彼にとって良い思い出となってくれることを願っています。
それでは、それでは。

学校とは別の学び場

どうも、どうも。
すっかり春になったかなあと思ったら今週はめっちゃ寒い感じで始まった四月ですけれども皆さん如何お過ごしでしょうか。新元号はレイワ。なんかカタカナっぽいと思ったのは僕だけですかそうですか。

さてさて、三月は随分ご無沙汰しちゃいまして、更新もめっきり滞っておりました。すみません。
というのも、実は新プロジェクトの企画を詰めたりホームページを一人でこさえたりと大変だったんですな。確定申告もあったし。

で、新プロジェクトってなんやねんってことなんですが、それが以下。出来上がったHPです。

https://www.hirunet.com/
まだ多分、グーグルには反映してないんですが、見ようと思えば上のURLかV-netのHPから行けます。

つまるところ、学校とは違う別の学びの場所を作ろうという、そんなプロジェクトなんですな、これが。

まあ、不登校がどうしたとか学校がイマイチだとか勉強は主体的にやれだとか言ってるんだったら、自分でそういう学校以外の学び場を作ってみればいいんじゃないの?という企画です。
いや、ほんとはそんな軽いノリで考えたわけではないんですが、実際、前からこのブログでも書いてる通り、仕事ではもちろんプライベートでも学校教育のあり方にかかわる様々な問題について相談を受けておるうちに、徐々に徐々に、それこそ自分だけでなく働いているV-netという場所全体でも、そういう企画、つまりは学校以外の学びの場所を作る必要性みたいなものがあるんじゃないの、という空気が醸成されていっておったわけなのですな。

で、できたのが、これ。
ヒルネット、という名前はなかなかダサいですが、中身はもちろん超本気、子どもたちが楽しく主体的に「学び」を得られる場所にしたいですね。

詳しくはHPを見てほしいんですが、前から僕がここで書いているようなこと、つまり集団的でない学びのあり方とか好奇心を育てることの大切さとか、そういったことを中心的な考え方としてやっていく所存であります。

で、大事なことは、これは必ずしも、不登校の子どもたちだけの場所ではないってこと。

つまり、普通の公立あるいは私立学校に通いながらでも、参加できるような場所にしたいと思っています。
いや、もちろん学校からはみ出してしまった子どもがいつ来ても良い場所、というのが前提ではあるんですが、それ以外にも、ちょっと学校に疲れてしまった子が休憩できる場所であったり、あるいは単に学校以外にオモロくいろんなことを学ぶ場所であったりと、要はいろんな子どもがいろんな理由で、気軽く週に数回でも立ち寄れるような場所にしたいなあ、とこう思っているわけです。

というのも、いわゆる「不登校」ということを、何か特別な状態みたいにはしたくない。

このブログでも何度か書いてきましたが、いまだに「不登校」という事態に対する偏見は少なからず存在します。
いや、そりゃ僕が経験した30年前よりは、ずいぶんマシです。
30年前の兵庫県の田舎では、まじ完全人間失格扱いでしたからね、太宰の『人間失格』をタイトルだけで読むのを敬遠したくなっちゃったほどに。

それに比べれば、ずいぶんマシとはいえ、いまだに不登校になってる子どもは楽してるだけだとか家でゲームばっかりとか繊細すぎるのがどーだとか。色々言われる。
くだらねえ。
思いっきり紋切り型のステレオタイプな金太郎飴的固定観念ですよくだらねえ(興奮しすぎて意味不明)。

でも、これは考えてみれば、「不登校」だけでなく、「アスペルガー」も「ADHD」も「LD」も何もかんもみんな一緒です。
個別具体的な状況は全部捨象して、すぐにレッテルをはる。はりたがる。
「障害」だなんて酷いことを言う。
「問題児」だと「落ちこぼれ」だと。
「社会に出てやっていけないぞ」だとか「まともな仕事につけない」だとかって人の未来を勝手に呪う。

そんなことは、全部、うそです。

30年前に「不登校」で多分「ADHD」で軽く「躁鬱」でグレた不良の「問題児」で、おそらく完全「人間失格」だった僕も、今では結婚して子どももいるし何とか「社会」なるものの中でやってます。苦労もあるが、幸せです。

だから、何も悩む必要はない。

いや、悩むこと自体は悪いことじゃない。でも、それはその「選択」自体をネガティブに捉えて行うべきじゃない。
どうすれば、その「選択」が少しでも良い未来に繋がるか、ということに頭を悩ませるべきなのです。

そう。「選択」なんですね。
学校に行って楽しくやってたっていい。
しんどくなったら、ちょっと休んだっていい。
そして、別のところに居場所を変えたっていい。

それらの「選択」は全部、等価だと思います。
だから、僕は今度の「学び場」を、特に不登校の子どもたちだけの「特別」な場所にはしたくない。
どんな子どもたちも、区別なく受け入れたい。
「アスペルガー」だろうが「ADHD」だろうが関係ない。
楽しく自由に学びたい、という動機があれば、それだけでいい。

……いやはや、HPの紹介だけのつもりが、またしても熱くなって長々書いてしまいました。
まあ、色々書きましたが、最初はのんびりやっていくつもりです。
興味がありましたら、ぜひお問い合わせを。
生徒がたとえ一人でも楽しくやっていく所存。

それでは、それでは。