「集団行動」って何?

どうもどうも。
いよいよ寒さも厳しくなり年の瀬も押しせまりつつある今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。僕は疲労がチョーやばいです。めっちゃ寝ちゃいます。

いよいよ最近、このブログも月一連載みたいになってきましたが、決してサボっているわけではない。いや、サボっているのですが、ヒルネットの活動記録を書きながらブログも書いてチョー大量に押し寄せるメールの大群と格闘もしていると、なかなか更新の時間を取れないのでありますよ。

と、更新が少ない言い訳から始まるのもお約束になりつつある今日この頃。今回はちょっとおふざけ気味に行きたいと思います。
そんな今回のお題は、「集団行動」。

どうでしょうか、皆さん。集団行動、好きっすか?

ちなみに僕は嫌いです。大嫌いです。
思わず太文字になってしまうくらい嫌いなんですよ。

この四十数年間を、いかに集団行動を取らずに生き抜くことができるかを最大のテーマとして生きてきたと言っても過言でないくらい嫌いです(大袈裟ではない)。
バリバリの就職氷河期世代でロストなジェネレーションですが、最初から「就職なにそれオイシイの?」的学生だった僕には最初からロストするものなど何も存在しなかった。ある意味で無敵の人です。

ところが、そんな「集団行動」をめっちゃ金科玉条のごとく言ってきやがる場所がある。
それが、日本、の、「学校」。

今から数年前、僕の娘が何かやらかした案件で小学校に妻とともに参上した折のこと。
その際、担任の先生の口から繰り返し出た言葉が、これ。
「〜集団行動を考えると。。」「〜集団行動を守らせる上で。。」等々。

ギャーッヤメローヤメテケレーッ!
その言葉は俺を100年石化させた上で美女に接吻されても今度は醜男に生まれ変わらせてしまうような強力な呪いの言葉なんだ!!(意味不明)

いや、誤解なく言っておくと、その担任の先生はめっちゃいい先生で、その後も娘が十二分にお世話になった理解ある先生でした。
ただ、そんな先生からも、特に違和感を感じておられぬ様子で飛び出してくる、その言葉。

そんなに「集団行動」って、大事なんでしょうか?

まあ、この日本で普通に会社員になったり公務員になったり、もっと言えば普通に「社会人」になる上では、ある程度、必要でしょう。いや、必要だったのでしょう(僕はよう知らんけど)。

ですが、大昔から、そんな社会人的集団行動だって苦手だった人はいる。
いや、むしろそうした「集団」に馴染めなかったからこそ成功を収めた人だってたくさんいるわけです。

さらに言えば、現在の日本社会はもうすでに「集団」に合わせることがそれほど重要な社会ではなくなってきている。
少なくとも「横並び」に「みんなと同じ行動」をとっていれば安穏と人生を渡っていけるような社会ではなくなってきていることは衆目の一致するところなわけでしょう。
いや、よう知らんけど。

ところが、あかん感じの学校でだけは、相変わらず古臭い「集団行動」を是としておるわけです(「あかん感じ」じゃない学校もだんだん出来てきてますけどね)。

そもそも「集団行動」とは何じゃろか?

皆と同じように行動することが集団行動なのか?
皆と同じ時間にホウキ持ってホース持って「掃除の時間」を演じるのが集団行動?
皆と同じ時間に体育着に着替えて皆と同じ時間に指定の場所にいけるのが集団行動?
皆と同じスピードで給食を食べ終わるのが集団行動?
皆と同じように「空気を読んで」45分間「良い子」でいるのが集団行動?

ウソだろそんなの後100回生き返ったってやっぱり出来っっこないって感じだぜっ!!

。。。という僕の社会人失格的言動は別にしても、それってやっぱり本当の意味での「集団行動」ではない気がします。

本当に必要なこととは、自分とは大きく異なる他者とでも、会話し協力しお互いを気遣い一人の力では出来なかった何事かを成し遂げられるような力を養うことではないでしょうか?
つまり他者と「コミュニケート」し「コラボレート」する力の涵養。

「他者」とはただの「他人」とは違う、自分とは考えも知的文化的背景も全く異なる存在のこと。
日常的に言うなら、「空気の読み合い」なんてものが通じないような人のこと。

しかし、現実の「社会」では、そうした他者との間とでも協力関係を結べないことこそ問題であるはずです。
そして、そんな他者と関係する力を養うのが「集団」を模倣する力であるはずがない。「掃除の時間」のわけがない。

そうではなく、全く年齢や生育環境の異なる子ども同士が、一つの遊びや課題を一緒に行うことができるか? 必要な気遣いができるか? まったく共通の話題がない中でも会話し協力できるか?
折々にそうした「協力行動」の機会を設けることこそが、「みんなと同じ」ことよりもよほど大切なんじゃないかと思います。

そんでもって、そういう「コミュニケーション」「コラボレーション」をすることなら、「集団行動」が苦手な子どもにだってできないわけじゃない。
むしろ異個性・異年齢の子どもたちが「協力」して事にあたる姿を、ヒルネットやV-net焚き火会などで、たくさん見てきました。

そしてまた、そういうことなら少なくとも、「集団行動」には呪われてる子どもの頃の僕にだって出来たんじゃないの?とかって思わないでもないわけです。いや、どうかな。。

それでは、それでは。