ぼーっとする時間を大切に

どうもどうも。
皆さん、明けましておめでとうございます。ってもう全然正月気分も遠くなってるわけですが、そんな遅ればせながら的なことを書くのも、このブログの毎年恒例ということで。

さてさて、というわけで本年初めのブログ記事。本来なら今年の抱負とか何かを書くべきかもしれないんですが、残念ながらというか別に残念でもなんでもないんですが、特にそうしたものはパッとは浮かばない。
というか、そんなこと考えて一年の初めを迎えたことなんて、これまで一度もなかったんですが、ふつうはやっぱり多少なりともそんなことを考えながら年を越したり迎えたりするもんなんですかね? いや、でもほんとにほんと?

でも、まあ他の人のブログとかネットの記事とか見てると、そんな内容のものがちらほら目に入ってきて、そうか、じゃあせっかくなので俺だってなんか抱負的なものを述べたいなあなんてことを思って思って考えながら、結局、今日に至る。
昨年の反省を生かしつつ、抱負とまではいかずとも今年一年少し大切にしたいなあというようなものはないもんだろうか。
で、昨日あたり、思いついたのが、これ。今年の抱負。というか、まあ少し大切にしたいこと。

それは、ほんの少し「ぼーっとする時間」を今年はつくる。
ゆっくりする。休む時間をつくる。

 

いやいや世間一般の皆さん、とりわけ比較的ブラックな環境で働いている方々なんかと比べれば、僕なんか全然働いてないですし、むしろもっと働けよ的なプレッシャーを日々我が家の勘定奉行兼総理大臣でもある奥さんからかけられておるわけなんですが、それでも主観的には昨年ずうっと忙しかった。
というわけで、今年は少し怠けたい。
っという本音は別にして、僕が言いたいのは物理的に休日を増やすとか仕事をセーブするとか、そういうことではないんですね(ただ繰り返せば、本音では怠けたい)。

実際、ヒルネットの活動を今年はますます頑張ろうとか、そのためにまた各所に見学研究に出かけようとか、読書WS等の土曜グループレッスンも盛り上げていこうとか、仕事への意欲は変わらず旺盛でありたい(が、しつこく言えば、もう少し怠けたい)。

 

ただ、一方で、頭の中に、どこか無駄なスペースというか、何も働いていない部分というか、意識的にボーッとするゆとりを持っていきたい。
次から次に何かに追われまくるのではなく、というか追われまくる部分もあっていいんですけれど、そういう中でも、一部はしっかりと休んでいる、頭の、あるいは心のゆとりみたいな部分を持っていないとダメなんじゃないかなあと思うわけなんですな。

ぼーっとする時間。

これ、実はけっこう大切な時間だと思うんですよね。
いつだったか昨年、ネットの記事で、おおたとしまささんという教育ジャーナリストの方が、子どもにたくさん習い事をさせるのもいいけれど、実は子どもの才能や能力、その創造性を花開かせるためには、子どもにぼーっとしている時間、休憩している時間を持たせてあげることが大切だ、というような記事を書いておられました(この方は松永先生の知人でもあるので、時折ご著書など拝見させていただいているんですな)。

これは実際、大人も子どもも等しく当てはまることなんじゃないかなと思います。
何もすることがない時間。
いや、実際には「何か」やらなくてはいけないとしても、日常の中でふと、目の前の現実から離れて、どうでもいいようなことに「アタマ」を向ける時間。

電車の中でスマホなんか見ずにぼーっと車外の風景を眺める時間。
お風呂で湯につかりながら、そこはかとなく取り留めのないことを考える時間。
仕事帰りの夜道に何となく星もない空を見上げる時間。

こういう時間を大切にしたい。
なぜなら、実はこういう時間にこそ、様々なアイデアや、物事への好奇心や、何かを作ろうという想像力が生まれてくるからです。本当に。

自由な発想や好奇心、そして創造力が、目の前の現実に追われまくっていて生まれるわけがない。
目の前の現実に対処するのにいっぱいいっぱいの脳ミソに、そんなことを「思いつく」ゆとりはない。
だから、たとえどんなに忙しくても、想像力や好奇心を大切にしたいならば、あるときそうした「現実」を括弧にくくって、全然違うところに脳ミソを持っていく必要があるんだと思います。

そういう意味での、「ぼーっとする時間」を、忙しい中でも大切にしていきたいと思うわけです。

 

そして、繰り返すなら、これは子どもたちを取り巻く環境についても言えることだと思います。
しかも、子どもたちに関して言えば、この「ぼーっとする時間」はもっと長くてもいい。
日常のふとした時間なんてものじゃなく、一年とか、二年とか、そんな長いスパンでの「ぼーっとする時間」があってもいい。

たとえば一年間、勉強に、あるいは習い事やスポーツに一生懸命だった年があったなら、そのぶん別の一年は、「ぼーっとする」一年であったっていいじゃないか。僕は最近、そう思います。

その一年は、はたから見れば「何もやってない」一年に見えるかもしれません。
しかし、子どもたちにとって、その時間は、自分の人生を生き抜いていくためのエネルギーを貯める大切な期間なのかもしれない。
新しいチャレンジに必要な養分を吸収し、新しい想像力をはばたかせるのに必要な一年なのかもしれない。

もちろん一年でなくともいい。人によっては、その「休憩」が3年、4年と必要なのかもしれない。
学校で、塾で、勉強で、あるいは人間関係で疲れた少年少女のアタマや心に、新たに感受し想像する力が宿るためには、人によってはそれぐらいの時間が必要かもしれません。
実際、恥ずかしながら僕なんて、十代のほとんどを「ボーッとして」過ごしておりましたから。

 

ともかくも。
今年一年は、こうした「ぼーっとする時間」、現実とは違う何かに目を向ける時間の重要性を考えていきたいですね。いや本当に。

それでは、それでは。