疫病と流言蜚語:あるいは世間の「空気」と教育について

どうも、どうも。
皆さんどんな感じでお過ごしでしょうか。

珍しくもブログをまめに書いている。あ、さては例の「休校要請」によって暇になったんだな。
と思った貴方。
あにはからんや、僕はいつもと変わらず子どもたちと良くも悪くも忙しい「日常」を送っています。
つまるところ僕の運営する少人数フリースクール、ヒルネットもいつもと変わらず平常運転、「日常」の活動を粛々と続けております。

何ということだ、この国家の一大事にけしからん、とお怒りの方がもしいたら、こちらをお読みください。そうなった理由について書いてます。

で、ヒルネットのことは上で書いてしまったので、今日は共通するテーマを扱いつつも、もうちょっとだけ幅広いお話を。
いや、まあ、そんな大した話じゃないんですけどね。

 

つい先日、西荻窪の駅を降りると、目の前の薬局に長蛇の列ができておりました。
こりゃまたどうしたんだろうマスクの一斉入荷でもあったのかなと思い少しばかり観察を続けていると、どうやらそうではない。
皆、抱えているのはティッシュの箱にトイレットペーパー。
そう先日、話題になってた「ケツ拭き紙買い占め騒動」の一端に出くわしたわけだったんですね。

あれ? でも、ティッシュとかがなくなるとかって噂はデマだったんじゃなかったっけか?と思っておったら、その翌日か翌々日、奥さんから聞いたのは、スーパーに行ったら、米がなくなっていたという話。
さらにさらにその翌日には乾麺までなくなってるじゃあないか。

そこで僕は確信したわけです。
なるほど。新種の肺炎ウィルスが流行っていると聞いたけれど、これはどうやらそうではない。そうじゃなくてこれはマジやばいやつであれだ、感染ったらみんな気色悪いゾンビに変異して人の脳味噌とか食べたくなっちゃうやつなんだそうだそうに違いない、だからみんな家にこもってゾンビと戦うべく買いだめしてるんだな!

もちろん冗談です。
不謹慎? そうです、残念ながら僕は人が深刻そうに真面目な顔してると何だか笑いがこみ上げてきて仕方なくなり葬式中吹き出しそうになってしまったりする大変不謹慎な人間なんですね、どうも生まれてきてすみません。

 

まあそんな僕の歪んだ性格は別として、このパニックは何でしょう。

思い出したのは、およそ10年前の出来事でした。
デマの驚くべき拡散や、あるいはデマをデマと知りながらも自己防衛に走らざるをえない人々のありよう。そしてもちろんその原因となっている政府による情報の出し方の「細切れ感」。

そう、僕が思い出したのは、3.11のときのことです。

といっても、これは被災地である福島や、そこから遠く離れた名古屋や西日本の人々には当てはまらない。厳密にいって、311の折の東京周辺の人間、世論の反応です。

あの時、東京では、人々が「放射能汚染」を恐れ、外出を控え、子どもたちの姿は公園から消え失せ、インスタント食品は買い占められ、ガイガーカウンターが飛ぶように売れました。
「絆」とかいう軽薄な言葉を合言葉にやっぱり自粛自粛自粛と騒ぎ立てたのもあの時でした。

 

当時、僕は清水幾太郎という戦中戦後の社会学者の『流言蜚語』という本を、とある理由で読んでいました。
311の折の「流言」の拡散に嫌気がさしていたせいだったか、全く別の理由だったかは思い出せません。

清水はこの本の中で、「流言蜚語」が飛び交い、しかもそれが一定以上の力をもつ状況として、一般の人々が限定的にしか情報の与えられぬ事態に遭遇した場合を挙げています。
その上で、その限定的情報の中で、さらに一見すると辻褄の合わぬいくつかの情報が示されることにより、人々が情報と情報の間の「溝」ないし「矛盾」を、それぞれの「利害」に即応した想像によって埋めてしまう結果、「流言」が力をもつようになると述べています。

政府の出す情報への信頼が揺らぎ、一方のマスコミ報道も不安を煽るばかりで正確性に欠けるように見える。そして代わりに、人々はツイッター等のSNSで、断片的、かつ相互に「矛盾」するような情報を発信する。
それを受け取り読んだ人々は、それぞれが自分の「信じたい」ように「情報」を繋ぎ合わせ、また新たな「流言」としてそれを発信する。

311の折、清水の分析がまるで当時の状況について書いたもののように感じたことを覚えています。
そして、その感触は、今、奇妙な既視感とともに蘇ってきています。

 

しかし、重要なことは、清水幾太郎の分析内容自体ではない。
むしろ彼がそれを書いた時期こそが重要です。清水が「流言蜚語」に関する文章を最初に書いたのは、2.26事件の直後でありました。

2.26事件。
それは1936年に陸軍の皇道派と呼ばれた青年将校たちの起こしたクーデター未遂事件です。
この事件の翌年に日本は日中戦争を開戦、やがて太平洋戦争へといたる戦争の時代へと突入していきます。

クーデター未遂事件と、おそらくはその後に飛び交った「流言蜚語」。それを一つの契機として、一層、大衆の世論が、陰鬱かつ攻撃的なものへと深刻化していった時代。
つまるところ、清水の著作はそうした時代を撃つものでした。

では、そんな時代に書かれた本を読んで共感してしまう311後の東京とは、どんな場所だったのでしょう?
そして再び、その書を読み返すことになった今日の事態は?

 

念のために言っておくと、僕は人が未知のものに対して不安を感じること、それ自体を責めたいわけではありません。
当たり前ですが、置かれた状況いかんによっては、その「不安」は実体のあるものでもあるだろうからです。
今回のウィルスの件で言うなら、例えばもし自分が種々の基礎疾患をもつ家族を抱えていたならば。不安にならない人間などいるはずがないでしょう。

そして、また一定の条件下で「流言」が飛び交う事態も仕方がないことなのかもしれない。
実際、上記の清水の著作は、それが必然的に生じる状況について分析した本でした。

 

ですが、だからと言って、いやだからこそ、その結果、特定の誰かがどこかで音楽のライブを決行したからといって、それを過剰に責め立てるような「蜚語」を許してはならないと思います。
「身勝手な芸術家たち」が舞台に立ち続けられるよう願った演劇人を叩くことで「正義」の側に立ったかのような陶酔に浸るべきではないのです。

「蜚語」によりパニックを煽られた結果、「世間」なるものが同調圧力を強め、例えば過剰に「自粛」を求めるような「空気」を作り出してしまうこと。
その「空気」に反する行為をとるものを「非国民」「売国奴」などと罵る輩が出てきてしまうこと。
そのような動きに対しては、少なくとも僕自身は、やっぱり断固として抗う必要があると思っています。

なぜなら、そのような「空気」こそが、おそらくは1930年代の清水幾太郎が感じていた「空気」だからです。
その「空気」が、日本をかつてとんでもなく無謀な道へと走らせたからです。その「失策」は為政者が無能だったからだけでは決してない。

 

どうも最初に書こうと思っていたことから脱線して、妙に政治社会的な記事になってしまいました。
最初に書いたように、僕は葬式中に吹き出しそうなるような「不謹慎」極まる人間です。
「前ならえ」と言われたら、後ろを向く方が正しいんじゃないかなと思ってしまう捻くれ者です。
そんなだから学校のような集団行動にもついていけなかったのかもしれません。

でも、ひょっとすると。
本当にひょっとすると。
僕が、何の因果か、子どもたちの「教育」に少しく携わることになった理由。
それは「世間」の「空気」に抗うような、そんな「不謹慎」な人間を一人でも多く育てたかったからなのかもしれません。

それでは、それでは。