イマちゃん、今の子は昔の子より弱なっとるんやろか?

皆さま、明けましておめでとうございました。
って、もう年が明けてずいぶん経ちますね、すみません。

それにしても、お久しぶりです。
いやー何ということでしょう。このブログ、記事の投稿が4ヶ月?ぶりではないか!! いや、ほんますんません。。。
サボっていたわけではないんです。って、いやサボっていたのはサボっていたわけなんですが、ちょ、あまりにも忙しくてですね。普段の活動が。で、ついつい休みの日はのんびりしよー、ブログとかもしばらくお休みだーなんて気分でまったりしていたら、なんと年が明けていた。。。
時間が経つのが早い!早すぎるぞこれはきっとスタンド攻撃されている!!
ということで、気がついたら4ヶ月もまったりしてしまっていたわけなんですな。まあ、ええやろ。しゃーない(誰に言っているのか)。

まあ、最近のかなり忙しい活動。今後も負担になり過ぎない感じでボチボチ続けていければなーなどと考えております。

ということで、今回は年明け1発目ということで、最近の雑感を記事にすることに。

実はこの年末年始、わたくしイマンモも実に約2年ぶりに関西に帰郷しておりました。これまではコロナのこともあって、ずっと帰ることができなかったんですな。

そんな関西帰阪中でも友人知人親戚その他から耳に入ってくるのは、いわゆる「不登校」の問題。いや、それだけでなく、ASDがどうした、ADHDがなんたら、HSCがモゴモゴなんて話。

類は友を呼ぶ。スタンド使いはスタンド使いと引き合う。
なんてことじゃなくて、単純に僕の仕事柄のせいなんでしょうが、いろんなところから「教育上」の悩みが耳に入ってきました。

いやー、なんなんだろうな。
この数年で、子どもたちを取り巻く教育環境はホントより「複雑」さを増してると言えますね。

そんな話題が正月のご馳走を前に交わされているなか。
ふと、義父がもらした言葉。
イマちゃん、なんで今の子どもはこんな悩んどるんやろ? 昔の子どもより弱なっとるんやろか?

御歳75歳、戦後生まれ昭和育ちの義父からしたら、ある意味、当然の疑問です。
義父の少年時代にも、「いじめ」問題なんかはあったに違いないと思いますが、いわゆる「不登校」といった現象は「見えなかった」でしょうし(単に「不良」と扱われてた可能性はあります)、ましてASDやADHDなんて言葉が出てきたのは最近です(そういう傾向の子どもはいたでしょうけどね)。

したがって、現在は過去には「見えなかった」「見ないことにしていた」問題が、教育システムの制度疲労と相まって顕在化してきただけとも言えます。
言えますが、まあ、やはりそれだけでもないでしょうね。

これは、良い悪いの問題ではありませんが、家庭環境から社会環境まで、高度成長期の日本と現在の日本社会とでは、何から何まで違うと言えば、違う。
どんどん人口が増えていた高度成長期の日本。けれど、その後、人口ピラミッド図は山形からどんどん歪な釣鐘型へと変わってゆく。
当然、家族構成も違う。4人5人兄弟が当たり前だった団塊世代。2、3人の兄弟がまあ一般的だった団塊ジュニア世代(僕はここです)。一人っ子も全く珍しくない現在。
繰り返せば、良い悪いではなく、幼年期の生育環境は全然違うと思います。

そして、学校環境も違う。
これは例外なく昔の方が「悪かった」と思いますが、例えば僕が小学校・中学校時代なんかは、「体罰」が当たり前でした。
もっと言えば、これは僕が「田舎者」だっただけかもしれませんが、日常に「暴力」が溢れていました。学校だけでなく、僕が所属していたサッカーチームの監督は、ほとんど見た目も口調も「ヤクザ」でしたよ。
繰り返せば、これは「良くない」ことです。
でも、1クラス40人の子どもたちに「無理やりいうことを聞かせる」方法としては効果的だったのでしょう。
ま、一言でいえば、「野蛮」だったわけです。

今はそういう「野蛮」さは無くなった代わりに、潔癖な「排除」があります。

「どうして、この子が学校に通えなくなったんだろう?」
そんなふうに不思議に思う「不登校」の、まだ小学生中低学年のお子さんに、僕はよく出会います。
なるほど、確かにちょっと変わったところがあったり、粗暴な物言いをするところがあったりはする。でも、他の子と遊んでいる姿を見る限り、うまくやれないわけじゃない。そんなタイプの子。

ところが、そういう子が学校という「集団生活」の「和を乱す」と、途端にウィスクをすすめられ、カウンセラーを紹介され、通級をすすめられる。
いや、それ自体は悪いことではない。先生だって一生懸命に考えてのことでしょう(なかには「えっ?」と思うような先生もいますが)。

しかし、今の学校にはどこか、「異物」を許さない、潔癖さがあるのではないか?
「暴力」という強制力を失い、一方で幼少期から多数での集団生活に慣れていない子どもたちを相手に「集団性」を強要せざるをえないなか、学校は「ちょっぴり変わった子」、以前なら大目に見られていたかもしれないような「和を乱す子」を、すごく恐れるような場になってしまっているのでは。

例えばの話、現在の日本の小学校に「のび太」や「ジャイアン」がいたら、どうだろう?
(興味深いことに、ジャイアン以外の「ドラえもん」の主要な子どもたちは、「あの時代」にもかかわらず、皆、一人っ子なんですよね)

忘れ物も多く宿題を忘れても平気なのび太は、今ならADHDという「診断」をウィスクなどで受けてしまうかもしれませんね。
字も汚く勉強もできない。通級をすすめられてしまうかもしれない。
暴れ者で「お前のものは俺のもの」といった暴言を吐くようなジャイアンは、現代なら間違いなく問題児です。ASDの傾向があるなんて言われちゃうかもしれません。

では、そんなのび太やジャイアンは、自分たちをどこか「和を乱す異物」扱いしているような、そこまで言わずとも、何やら「居心地の悪い」気分にさせられる、そんな学校にそのまま通い続けるでしょうか?

もしのび太やジャイアンが、現代の東京や大阪といった都市に住んでいれば、おそらくそういう選択はしないでしょう。

僕がやってるヒルネットのようなフリースクールもあります。あるいは、種々の教育法を実践するオルタナティブスクールもある。経済的に余裕があるならインタナショナル・スクールだって良いかもしれない。
「学校の集団生活に合わない」ならば、他にいくらでも選択肢があるわけです(あくまで都市部では)。
もし僕が「のび太」なら、ドラえもんに頼る代わりに、自分に合ったペースで学べるスクールを探すでしょうね。

上記の義父に対する僕の答えは、以上のような感じになります。いや、実は現場でも同じ話をしましたが。

60年前の教育環境。30年前の教育環境。そして現在の教育環境。
家庭環境。社会環境。その中で生きる子どもたち。
どの時代が良かったなんて、簡単には言えません。

でも、一つだけ言えることがあります。
それは、今の子どもたちが過去の子どもに較べて「弱い」なんてことは、ありえないということです。

今の子どもたちも、また、現代の社会を、自分たちの人生を、懸命に生きています。
そして60年前の子どもが、30年前の落ちこぼれが、なんとか大人になったように、彼らもきっと素晴らしい大人へと成長してくれることでしょう。

それでは、それでは。