中学受験と公教育と哀しみと

どうも、どうも。
またしても更新がすごく滞っているなか、春らしき暖かな日もちょいちょい訪れつつある今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。僕は花粉症が怖いです。早くも。

さてさて、更新が滞る問題。言い訳させてください。
だいたい、このブログは休日の午前中に書くことが多いんですが、実は前々回の休日、受験前だというのに例のインフル何某という恐ろしい妖怪に襲われましてね。不覚にも。
ここ何年か、予防接種なしで大丈夫だったので油断してたら今田家パンデミック状態になっちゃいまして。発端は幼稚園児の息子だったんですが、「罹患したって発症しない方が多い!」などと呪文を唱えていたもののあえなく発症、数日の自宅軟禁を味わったという次第です。
これが第一の休日。ブログ、無理。

で、第二の休日、先週だったわけですが、これは受験直前、超多忙。ブログとか、書いてる暇なくあえなく死亡。

そういうわけで、こうして久しぶりにのんびりデスクに座れるのが今日、ということになっちゃったんですよね。え? 僕の言い訳なんかに興味ない? そうですよね。

さて、受験。
高校、大学入試組はまさに今、直前といった状態なんですが、中学受験組は概ね終了。
毎年のことながら、悲喜こもごも。
僕の担当していた生徒は、メンタル面、あるいは勉強面でかなり危ぶまれていた生徒たちが奇跡の合格を果たす一方、国語めちゃ出来で安心していた生徒が第一志望でうまくいかずという結果。

奇跡の合格組二人についてはほんとに僕もびっくりで、しかも1回目試験でダメだったのに2回目試験で逆転合格。
僕も親御さんもかなり厳しいと覚悟していたので、知らせを聞いたときは変な意味で目を、耳を疑いましたよ。
一方、国語めちゃ出来女の子は、本当に、本当に過去最強、戦闘力53万レベルで国語ができる生徒だっただけにちょっとがっかりしましたが、本人は第二志望の学校で十分満足らしく、第一志望2回目試験を受けたらどうかという周囲のススメを断固拒否。何回も受験するのは真っ平だという。
まあ第一志望校はもちろん高偏差値校だったわけで、そこでガリ勉続けるよりも、のびのびやりながら成績上位を維持できた方が青春楽しいわな、ってことで周囲も納得。
というより、そんなふうに自分の意思をはっきり持てて決断してるのに周りがあれこれ言えないよね、いやむしろ主体的に自分の意思を主張するのは素晴らしいじゃん、ってことで収まりました。

でも、実はそれ以外にも、悲しいお知らせが。

実は僕が直接担当していなかった生徒なんですが、ある男の子が受験でかなり厳しい状況になってしまったとのこと。
どの教科がどう、と詳しい状況は聞いていません。が、伝え聞くところによると、最初の、第一志望の試験でかなり精神的に落ち込んでしまったそうです。
彼については受験指導はできませんでしたが、むしろそれ以前から、グループレッスンなどで、よく知っている間柄。
そう、長年の、友人のような生徒の一人だったのです。
そんな彼が、教室で頑張っている姿は何度も目にしていました。

可哀想に。

はっきり言って、今はまだ、それ以外に言葉がありません。気の毒でたまりません。

彼はとても明るい、ものすごく素直な男の子なんです。
いつも笑顔をたやさず、僕が何か冗談を言って呼び止めると、必ず嬉しそうに言葉を返してくれます。

ほんとにいい奴なんですよ。ほんとに。

すごく読書家で、暇さえあれば本を読んでおりました。
しかも、けっこう難しい本を読んでるんです。
奥多摩の焚き火でも、いつも楽しそうで、みんなのムードメーカーでした。
そんな彼が、一生懸命、勉強していたんです。
すごく、一生懸命。

いやいや、何を書こうか。
言葉が見つかりません。

本当は、受験の話は簡単に終わらせて、公立小学校や中学、あるいは私立中学含めての公教育の現状について、また書こうかと思っていたんです。
さっきまで、そのつもりでした。
でも、彼について書かないわけにはいかないだろうと、そう思って文字を打ち込んだとたん。

ちょっと、言葉が、うまく出てきません。

何と言って彼を慰めてやるべきだろう。
今度のことだって人生の経験になるはずだ。いや、そんな言葉はたとえ真実でも、今はまだ、空々しい。ひたすらに、軽い。
もちろん彼には、輝かしい未来が拓けています。たかが中学受験です。でも、ね。そうは言えないですよ。今は。僕は、彼らが本当に本当に頑張っていたのを、知っているんですもの。

僕は、ね。
中学入試ってやつは、本当は子どもに酷なんじゃないかって思うことも、あるんですよ。
まだ幼い部分を残す彼・彼女らを無理やり大人にさせる部分がある。
だから、彼らを指導していて、自分の教育観と、矛盾を感じることだってあります。

でも、一方で、子どもの幸福を願い、中学受験を選択する親の気持ちもよくわかる。
私立が良いわけでは決してないんですが、公立中学、あるいは小学校の現状は、親の不安を煽り、また場合によっては実際に子どもたちをスポイルしてしまうところがあります。

だから、せめて無理のない勉強の仕方をすすめますし、無理のない形での受験をしてもらもうとします。
それでも、辛い時が、ありますよ。本当に。

でも、どうしてなんでしょう?
別に多くの親御さんは、あるいは子どもたちは、受験エリートにさせたい、なりたいなんて思っていません。
ただ、子どもたちが少しでも生き生きと学べるような環境を求めているだけです。
少人数のクラスを実施している学校はないか? 子どもの自主性を重んじている学校はないか? 主体的な学びの環境を整えているところはないだろうか? 子どもたちを下らない内申書で縛るのはいやだ。
当然の思いです。
一人の親として、僕もそう思っています。

なのに、それを実現しようと思うと、場合によっては子どもの何かを犠牲にしなければならないかもしれない。受験のために。

繰り返せば、僕個人は、いや松永先生をはじめ一緒に子どもたちを教えている僕の仲間の教師たちは、この矛盾を軽減させようと、あるいは矛盾自体がなくなるようにと心がけながら、子どもたちと接しています。
子どもたちが何も犠牲にしないように教え、時に親御さんにアドバイスをします。
それでも、やっぱり僕たちは矛盾の中に生きています。

こうした矛盾を解く方法はないのでしょうか?
子どもたちが何ものも犠牲にせず、生き生きと少年少女時代を送れる環境はないのか?

きっとあるはずです。
そして、それはそんなに難しいことでもないはずなのです。

でも、今日は疲れました。
続きは次回に書きたいと思います。
一生懸命、頑張った子どもたちに、最後に言いたいと思います。
君たちが、僕は、大好きだよ。

それでは、それでは。

 

 

中学受験顛末記(けっこう長い)

どうもどうも。
寒い寒いと言いながらも立春を過ぎ昼の日差しについては少しばかり暖かくなってきたような気もする今日この頃ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。僕はあの恐ろしい恐ろしいインフルエンザにも何とか罹らず乗り切れそうです。

さて、乗り切れると言えば、そう。
ついに今年度の中学入試が終わりました。高校入試と大学入試はまだ残ってるものの、まずは一段落です。

で、その結果なんですが。
今年はもうめっちゃ素晴らしい! みんながハッピーと言える結果でした!
今日はこの中学受験生たちについて書いておきたいと思います!
(こっから結構長いです。生徒それぞれの話を書いてたら、どうしても長くなっちゃいましたよ)

さて今年、僕が見ていた中学受験生は3人です。
この3人が、まったく三者三様。タイプの違う生徒たちでした。

 

まずは三人兄弟末っ子のT君。
末っ子らしく時折幼さの残る表情を見せてくれるものの、基本的には落ち着いた性格の彼。
サッカーが大好きで、國學院久我山STのみの受験で何とか合格したいとウチにやってきました。

春の段階でも国語は結構できていたんで、まあ大丈夫かなと思っていたんですが、夏ごろ急にトラブルが……。

併用して通っていた進学塾が、夏休みごろから急にスパルタ式になってきた。
もともと、あんまりスパルタ式に受験勉強はしたくない思っていたT君とそのお母さん。僕とのレッスンも月二回くらいに抑えていたし、進学塾の方も、そんなにスパルタじゃない方針って聞いて通っていたのでした。
……ところが、ここにきての方針転換!

案の定、目に見えて元気のなくなってきたT君。
で、どうしたものかとお母さんともども悩んだ結果……。
秋から塾の方は辞めてしまいました。

で、国語は僕、算数は前田先生が見ることとなり、社会と理科は僕と前田先生がフォローしつつも、自分で勉強することに。
でも、これってけっこう不安になる選択ですよね。自分で勉強っていっても、ほんとに自分でできるの?

ところがT君、ここからマジで頑張った。めっちゃ自分で頑張った。
さっき、まだ少し幼さが残ると書きましたが、これが受験前には一変!
教室に一人で残って黙々と自習! 中学生諸君より、よっぽどしっかりしてるではないか!

……で、その結果はどうだったか?

もちろん、余裕の合格でしたよ!
初日こそ緊張しまくったらしいですが(お母さん談)、見事、二日目の試験で國學院久我山ST合格を決めてくれました!

でもね。
実は僕は大丈夫だと確信しておりました。
だって過去問やっても国語も社会も抜群の安定感だったんですもの。
何より、あんなに自主的に勉強できる彼が、うまくいかないはずがない。

きっと中学に入ってからも、彼なら順調に力を伸ばしていってくれるに違いありません。
おめでとう、T君!

 

さて、もう一人。同じく國學院久我山ST合格を決めたのが、Rちゃん。
小柄ながらもスポーツ大好き頑張り屋さんの女の子です。
彼女は実は、去年の受験生だった女の子の紹介できた生徒でした。
で、去年の彼女もかなりの頑張り屋でしたが、このRちゃんも本当に頑張る。頑張りすぎる。

すごく真面目な良い子なんですよ。
大人が話せば、10人が10人、きっと彼女を好きになります。
礼儀正しく、しっかりしていて責任感も強そう。話す言葉もはっきりしていて内容も明瞭。
こういう子ですから、そりゃ真面目に決まってます。
だから勉強も頑張ります。頑張りすぎちゃいます。やらなくていいような塾の宿題も全部やっちゃいます。

でも、そんなに頑張ると、やっぱり疲れちゃいますよね。
だから、受験前はずいぶん疲れた様子でした。
正直、それが一番、心配でしたね。

国語も悪くないんです。
というより、本もよく読むし上に書いたように言語も明瞭。国語ができないわけがない。
だけど、塾でいろいろ言われてたのか、僕が最初に見た時から、なぜか国語が出来ないと思い込む「呪い」にかかっておりました。

この「呪い」を解くことが、それこそ僕の仕事の半分だったわけです。
が、同時に受験前は、何とか彼女の「疲れた」心をほぐし励ますこと、これが大事な仕事になっていきました。

で、1月末。おそらくそれまでの疲れが溜まりに溜まっていたのでしょう。
なんと受験直前に風邪を引いてしまうという……。

幸いインフルエンザではなかったのですが、そりゃ最初はかなり心配しました。
よりによって何でやねんっ、と。
彼女がかわいそうで仕方なかった。

でも、ね。
人間万事、塞翁が馬。
ここで風邪を引いたことが、結果的には、かえって良かったようなんです。
いい息抜き、あるいは開き直る時間になってくれたんでしょうかね。
試験自体はかなりリラックスして受けられたようです。

実は國學院久我山STは第二志望の学校でした。が、第二志望と言いながらも、事前の予想では、かなり厳しいのではと言われていました。
僕自身、国語はまあ何とかなるにしても、算数が過去問の感じだと厳しいのではないかと思っていました。

ですが、なんとそこに一発合格!
朝、お母さんからご連絡いただいた時は、思わずガッツポーズしちゃいましたよ!

本当に、まさか一発目で合格するとは!
いい意味で予想を超えてくれました。
本当に良かった。

Rちゃんなら、久我山に入ってからも、きっと持ち前の真面目さで、勉強に、スポーツに頑張っていくことでしょう。
おめでとう、Rちゃん!

 

さて、最後に紹介するのは、D君です。
今回、実は最後までハラハラドキドキさせられたのが、このD君でした。
けっこう以前から、英語や作文なんかを習いに来ていたD君。
性格は明るく快活。素直。ねじれたところが全くない。
小学生諸君の間では、キャロムの達人としても知られています。
実際、キャロムに関しては、教師である僕とだいたい同じぐらいの実力なのです(なお、教室に通っている歴代の生徒の中でも、僕に勝てるのは数人程度です)。

そんな長い付き合いのD君。
当然、なんとか受験は成功させてあげたい(彼はオルタナティブ・スクールに通っているので、公立中学に進学するのは現実的ではありませんでした)。
しかし、朗らかな彼の人柄、好奇心に溢れた彼の知的関心をダメにしてしまうような「ガリ勉」を強要したくはない。
ということで、ご両親が考えた進学先が三田国際中学でした。
この学校、種々の教育的取り組みの結果、最近、急速に偏差値を上昇させている学校です。
とはいえ、伝統的な難関校とは違うので、それほど「ガリ勉」せずとも通用するのではないか、という見立てでした。

ところがどっこい、受験はそんなに甘くない。
いざ蓋を開けてみれば、模試ではやたら高い偏差値がつく。
受験倍率も、正確に分からんまでも、やたら高そう(一回の試験で20人くらいしか取らない!)。
難関校受験者が、第二、第三志望校として受験しにきやがる。
……結果。
めっちゃ、苦労しました。

もちろん、本人はすごく頑張ったんです。
国語だけでみたって、本当に頑張りました。
苦手だった漢字も一年で、ほとんど書けない字がなくなるくらい勉強しました。
読解問題でも、僕の「罵詈雑言」に耐えながら、どんな設問にも対応できるようになりました。
作文試験に備えた練習もギリギリまでしました。

……が、数回ある試験で、なかなか結果が出ず。
めっちゃ心配しましたよ!
試験前に励ましの電話を、何回もかけてしまいました……。
正直、最悪の結果も少しだけ考えちゃいました(でも僕はものすごい楽天家なので、ほんとにほんの少しだけでしたが)。

でも、彼はきっと自分の力を信じていたんでしょうね。
僕が電話するたびに、力強い受け答えが帰ってきました。
結果が出ていなくとも、ちっともしょげてなんかいない。
励ますつもりが、かえって僕が励まされましたよ。

……そして、そして、ついに最後の試験。
そう。
その最後の試験で。
見事に結果を出してくれました!

僕がどれだけ嬉しかったか!
電話がかかって来たとき、全く意味不明な受け答えをしてしまうほどでしたよ!

いやーーー本当に良かった。
翌日、学校の帰りに教室を訪ねてくれた彼と、握手しました。
彼の手は、気がついたら、ずいぶん大きく、力強い男の手になっていました。

きっと彼ならば、その溢れんばかりの知的好奇心を満たすべく、中学校でも存分に勉学に励んでくれるものと思います。
おめでとう、D君!

 

さてさて、こんな感じで三者三様の中学受験が終わりました。
毎年のことながら、自分が「コーチ」として、彼らの人生の一部に関われたことを、本当に嬉しく思います。

たかが、受験です。
それで彼らの人生が決まるわけではなったくない。
されど、受験です。
本人はもちろん、関わった僕たち教師にとっても、その時間に刻まれた努力は、喜びは、悲しみは、やはり人生の、大切な財産となっていくものなのです。

T君、Rちゃん、D君。
本当におめでとう。
しんどかったけど、君たちと過ごせた時間は、僕にとっても素晴らしい時間だった。
だから本当に、ありがとう。

それでは、それでは。

高卒認定試験について

どうもどうも。
さて本日は朝から朝刊を読んでみると、「大学入学共通テスト」とかいう例のセンター試験の後継テスト、あれのモデル問題がでかでかと載っていたんでその話題を、とも思ったんですが、どうせなら生徒の反応を見てからの方が良かんべな、ということで当該話題は次回。

じゃあそんな重要な問題を次回に回して今日は何の話をするかというと。
ズバリ、「高等学校卒業程度認定試験」。
略して、高卒認定試験。

何じゃそりゃ聞いたことないなあ、っとあまり耳に馴染みのない方もいらっしゃるかと思いますが、じゃあこう言い換えたらどうでしょう。
大学入学資格検定。つまり、大検。

高卒認定ってのは、要するに、この大検のことなんです。
2005年から旧大検は廃止されて、この高卒認定試験に替えられたんですな。
そう、つまるところ高校を卒業せずとも、高校卒業と同程度の学力を認められる(つまり大学とかに進学できる)、あの資格試験のことです。

で、どうしてまたこの話題を当ブログでするのかというと、実は僕の受け持つ生徒にはこの試験を受けるって子どもが結構多い。
昔、いわゆる不登校についての記事を書いたことがありますけれども、そういう不登校だった生徒のみならずオルタナティブ・スクールに通っていた生徒なんかが、何の因果か以前から、受け持ち生徒にじわじわ増えていたからです。

何の因果か、と書いたのはもちろん、僕自身がやはり大昔、昭和から平成に切り替わる頃の不登校児だったからです。
僕自身が、中学二年から学校に通わなくなり、当然高校にも行かず(というか正確には入学してすぐ中退し)、ぷらぷらしつつもやっぱり労働するより勉強した方がいいなと思い直し、それでもって大検を取得し大学に進学した人間だからです。
それで今、似たような(といってやっぱりみんな境遇は違いますが)ライフコースを歩む子どもたちを教えることになってるんですから、人生は不思議なもんですよね。

で、この高卒認定。
だいたい8〜10科目の試験を受けて全てパスできれば高校卒業程度の学力を認めるというもの。
いわゆる英数国の三教科に社会系科目の世界史と日本史(もしくは地理)、理科系選択科目を2科目ないし3科目、あとは「現代社会」とか「倫理」「政治経済」なんかを取っちまったら終わりです。
試験は一年に二回。8月と11月。一度合格した科目の成績記録については次回試験に引き継げるので、何年かけて取得したって構いません。
合格最低点は発表されていませんが、だいたい50点〜60点。59点以下受験者平均点によっては、それより低い点数でも合格可能性があります。

さて、この試験を難しいとみるか簡単とみるか。
個人してには、少なくとも試験だけ見れば、それほど難しいとは思いません。
何と言っても複数回受験できるのが大きい。しかも今では年二回。
僕が旧大検を受験した時は確か8月の一回だけだったはずですから、そこからみてもチャンスは広がっています。
ですから、確かに一回の試験で全科目合格しようと思ったら、それはハードル高いですけれども、まあ二年越しくらいの計画でやれれば、問題ないように思います。
しかも最低合格点も決して高くはありません。60点となると、まあまあですが、実際のところは50点前後で合格できるのでは、と巷間言われております。

でも実のところ、これでも僕が大検を受けた時に比べると、制度的にもしっかりしていて、やや難易度も高くなっているのかもしれません。
おそらくこの25年くらいの間に、受験する子どもたちがずいぶん増え、また多様化したからでしょうね。
僕が受験した時なんかは、まだ「保健・体育」とか「簿記」なんて科目がありましたからね。どんな問題だったかさっぱり覚えてませんが。
また「簿記」なんて科目があることからもわかる通り、大検受験生が大学に進学することなんて想定されてないんですよ。せいぜい専門学校くらいでしょってな感じです。だったら帳簿付けぐらいできた方がいいよねってことだったんでしょうね。
実際、試験会場もメチャクチャで、誰も受験番号順に会場座席に座ろうともしない。試験中でも平気でベラベラ喋っちゃう。
まさにフリーダム。いや動物園状態。受験者の半分くらいはチンピラ風の人たちでしたよ実際。
(注:いやあくまで僕の個人的な体験ですからね。そうじゃなかった年度や会場もたくさんあったと思いますよ)

まあ、その頃に比べれば、今はずいぶんマトモな制度になっていると思います。
ただ、受験生に関しては変わらないこともある。

それは勉学に対する、ある種のコンプレッスクスです。

僕の現在の生徒たちも含めて、色々な事情で高卒認定を受ける子供達は、やはり一定程度、「ふつうの勉強」からは離れていた時期があります。
したがって、当然、同年の子どもが知っているような勉強についての知識を、まるで持ち合わせていないことが、ままあるわけです。
もちろん、例えば僕の生徒たちなんかは、「ふつうの勉強」はともかく、自分の興味ある分野に関してはとても優秀です。それは以前のブログでも書きました。政治思想・運動を自ら学ぶもの、史的知識を貪欲に吸収するもの、創作教養の研鑽に日々励むもの等々、実に魅力的な人物が多い。

しかし、そんな彼らでも、例えば「英語」の基礎的な文法がわからない。いや、そもそも知らない聞いたことがない。
あるいは数学の公式がわからない。社会の歴史をまるで知らない。
そして、その事実を恥じてしまうわけです。十代の自意識がそれを「恥」と感じさせてしまう。
大人なら、恥ずかしがることなんてないさ今からでも遅くないさわっはっは、てなもんでしょうけど、思春期の感受性に優れる彼らはそうそう鈍感にはふるまえません。
やはり、コンプレックスに感じてしまうわけです。
そうすると、ますますその分野の学習が進まない、遅れてしまうわけです。

僕の場合は英語と数学でした。
「復帰」後、初めて英語の授業を受けた時「I have been〜」という完了形の文章を見て「私は豆を持ちながら。。。???」という恐ろしく頓珍漢な訳文を考えたことがありますがそれも今では良い思い出です。嘘です。今でも身をよじります。
僕の場合はなんとかその後コンプレックスの克服に成功しましたが、このコンプレックスの「壁」を破ることが、なかなか大変なんですね。ほんとに。おそらくふつうに学校に通っていた人には想像ができないほどに。
僕の場合は英数でしたが、人によっては社会科目や理科科目なんかでも、同じようにしんどい思いをすることがあるでしょう。

繰り返すなら、高卒認定の試験自体は、それほど難しくないかもしれません。
しかし、こうしたコンプレックスと戦いながら、ある教科を基礎から学び直すことは結構大変かもしれません。

とはいえ。
僕自身がそうだったように、そんな「壁」も必ず破れる時が来ます。
高卒認定をクリアしてやがて大学受験に向かい大人になる中で、ああそんなこともあったなわっはっはっとオッサン的鈍感さを身に付けることも可能です。
そうなった時、少しの間、「ふつうの勉強」を休んでいたことがかえってプラスになる。
もとより知識欲は盛んな子どもたち。休んでいたぶん、まだまだ十分空きのあるアタマに新しい知識を吸収することに、他の人より夢中になれるはずなんです。
実際、恥ずかしながらも僕がそうでした。
まあ僕の場合はそれに夢中になりずぎて、ちょっと長く大学に通いすぎましたけれども(正直、それはあんまりすすめません)。

ともかくも。
8月の試験日までおよそ3ヶ月。
今年、高卒認定を受ける生徒も、また来年以降にそれを考える生徒も、皆が皆、自分の中の「壁」を打ち倒して、未来の可能性に向けてまた一歩、足を踏み出していってもらいたいと思っています。

それでは、それでは。

読書道場の話のつもりが東大合格のニュース

どうもどうも。
最近は毎日、授業の合間に「子ども読書道場」含め、子どもたちとレッスンで読む本を探す日々を送っております。
いや「読書道場」で読む本については、一応、候補としてはHPやビラなんかにいくつか挙げてるんですけどね。ただ、これらは過去に自分が読んだことのある本で、まあこんな感じのやつをやりたいなって例に過ぎないものですから、その後もいろいろ図書館の児童書コーナーなんかにいったりして、もっと良い本はないもんかなあと日々探しているわけなんです。どんな生徒がくるかわからないですしね。
僕としては、できれば子どもたちが自分だけでは手に取りそうもない本、あるいはお父さんお母さんも読んだことがなくてなかなか薦められない本、みたいなものがいいなと思ってるんですけどね。
それでいて、できれば面白くて考えさせられるやつ。ま、なかなか難しいんですが。
でもまあ、懲りずに今後も探していく予定です。
そのうち春や夏だけでなく恒常的なクラスにもできたらいいなあなどとも思ってるもんで。

 
さて。
今日は本当はこの読書道場のネタだけで記事を書く予定だったんですが、そろそろ受験シーズンも過去のものとなり始めたこの一昨日、終わりの終わりに素晴らしいグッドニュースが!
なんと今年東大受験してた生徒から合格の報告が届きましたよ!!
いやスゲーなおい!
しかも、このS君は高校三年現役。ホントびっくりしちまいましたよ。
このS君はまあ確かになかなかアタマの涼しい人間でそういう人は大抵性格もとてもいいもんなんですが、S君もまた非常に苦労性の、でもそういうところを表に出さない爽やかな青年でした。
けれどだからこそ、内面の苦労がしのばれて、実際高2ぐらいからものすごく痩せちゃったりしていたので、そんな部分も含めて実際の試験ではどうなんだろうと心配していたもんでした。
が、結果は全くの杞憂でしたよ!
ホント大したもんだぜオメーは! おめでとう!!


ですが一方で。
最近はどうも感傷的でして、このS君ももうV-netにくることはないんだななどと思うと一抹の寂しさが。
こんなことを前の記事でも書いていて、松永先生なんかには「なんだよ乙女チックなヤローだな!」などと馬鹿にされておるのですが、それでもこのS君とはもうおそらく7年。
彼が小学5年の時から中学受験を指導し始め、その後も中学高校と週一回のペースで国語をずっとみてきたわけです。
それだけではなく。実はS君の兄貴、A君も僕の生徒で、これまた中学受験から大学受験まで指導しておりまして、つまり兄弟含めて9年間かかわってきたわけです。

9年。
短い時間では、ありませんよ。そりゃ、ね。
その間、兄弟の成長をみてきました。
そりゃ、単に週一回勉強を見てただけです。成長を見守ってきたなんて、偉そうに言えるもんじゃありません。
けど、ね。主観的にはやっぱり。そう、いろんな思い出があるわけです。

学校でいろいろあって泣く兄貴を慰めたこととか。
中1の定期試験時に骨折しちゃったS君の愚痴を聞いたりとか。

つい、この間のことみたいなんですけどね。
もう、ずいぶん前の話なんですよ。

兄貴はいま、会計士を目指して頑張ってるそうです。英語が得意なやつだったんですけどね、人生はわからんもんです。
そしてS君。彼の前にももちろん「不確定」であるゆえに希望に満ちた未来が広がっています。彼ならきっと、その苦労性ながらも涼しいアタマで最良の未来をつかみとっていってくれるに違いありません。

 
実は昨日はそれ以外にも、一浪して医科歯科大合格を決めた生徒が報告にたずねてきてくれました。彼は大学受験ではセンター試験を少し手伝っただけなんですが、これまたその昔、麻布受験を指導してからの付き合いだったのです。
他にも焚き火等々で小学生時代から付き合いのあった山形医大に進学した生徒が顔を見せてくれたり、かつての音読道場生徒でいま先生として道場を手伝ってくれているT君の建築への造詣の深さに感心したりと、昔から知る生徒の成長を実感する日々です。
彼らだけではない、本当にみんな、素晴らしい青年に成長してくれています。
本当はこの辺りの話もブログにしたいのですが、今日はもうずいぶん長く書きすぎました。
この辺の話は、4/2の年度恒例パーティーの折にでも。みな、顔を見せてくれるでしょう。

では、今日はこの辺りで。
それでは、それでは。

いまんもレッスン日記⑥喜びと寂しさ

どうも、どうも。

本日は短めの話。
先日のブログの最後、記事を書いてる途中に慶應合格を報告してきた高校受験生Hくん、なんとスゴイことに早大高等学院も合格しておりましたよ!
いや、ホントすごいなあ。

と、この結果だけを書いたら、「すげー秀才のお子さんなんだろうなあ」って感じがしますけど、少なくとも私とご両親の実感はまったくそんなことはありませんでした。
秋から冬にかけて、お父様と「滑り止め含めて危ないんじゃないか」なんて話も何度か出たくらいですから。実際、「ここは大丈夫だろう」と思っていた学校を面接で落とされたりしてましたし。
それが慶應と早高院を両方合格っていうんだから、私としては、正直びっくりの上出来すぎる結果でした。

このHくんの特徴。それはもう一言、よく言えば弁の立つ、悪く言えば屁理屈に関してものすごく頭の回るおしゃべりなヤローでした。
私もかなりのおしゃべりで家では迷惑がられる存在なんですが、そんな私から見ても「よく喋るなあ」と思わせるおしゃべりヤローでした。
そのくせ私がどーでもいー話をしようとすると「断捨離!(ムダな話、よくない!)」などとのたまって、しかも問題に集中するのではなく自分がどーでもいー話を開始するという傍迷惑におしゃべりなヤローでした。

でも、この「おしゃべり」は、ある意味で、高度な国語力に裏打ちされたものだったんでしょうね。
なぜか、なかなか模試では結果が出ませんでしたが、過去問をこなす中では、どの高校の問題でも、必ず7割以上の点数をとっておりました。点が落ちるということがあまりなかった。
逆にいうと、だからこそ模試等で結果が出ないことがもどかしく、また本番に向けての周囲の不安を煽っておったわけですが、本人曰く、「模試は練習。自分は本番には強い」とのこと。
で、実際、その本番では結果を出せたんですから、有言実行で大したもんですよね、ホント。

まあ実際、彼の「おしゃべり力」を「ディベートする力」と置き換えると、すごく頼もしい感じがしてくるから不思議です。
この春、昨年夏に行って好評だった「子ども読書道場」をまたやろうと思ってるんですが、そこでは何とか小学生たちの「おしゃべり力」を引き出せたらなあなどと考えている次第です。

 

それにしても、この時期は毎年思いますが、嬉しい反面、寂しい季節でもあります。
この2週ほど、中高受験の終わった生徒たちが保護者の方々と挨拶にいらっしゃって、ちょっとお話をしたりしてたわけなんですが、そんな中でふと私が感じることは、ああそうか、この子どもたちにはひょっとするともう会えないかもしれないんだな、という一抹の寂しさでした。
もちろん、毎年、継続して習いにきてくれる子もたくさんいるんですが、なかには受験時だけ、という生徒もいます。
そういう生徒とは、もう会うことはできません。

先日、古い名簿を整理していました。
すると、出てくる出てくる、懐かしい名前。
昔。中学受験のレッスンを行ったはずの生徒が、生年を見ると、もうとっくに立派な大人になっていました。彼彼女はどうしてるだろう。

私の「ショートコント」に無邪気に笑ってくれていた彼女は今、何をしてるだろう。
私に怒られるのが嫌で駅でだだこねてレッスンをサボろうとした彼は、今も元気にやってるだろうか。

彼らにとっては、ひょっとしたら私は、ただの「塾の先生」かもしれません。
人生の中で一瞬、たまたま出会って、通過した大人でしょう。
ですが、個人指導であるためでしょうか。それとも、こちらが大人のためか。
私たちにとっては、皆、一人ひとりが、他の誰かとは違う、存在でした。
一人ひとりに、それぞれの「物語」がありました。
それは簡単に忘れられるものではないのです。

春には、また新しい子どもたちを指導することになるでしょう。
そんな彼らの「物語」にまたほんの少しだけ関われることを、「大人」である私は、ささやかな喜びにしたいと思っています。

それでは、それでは。

いまんもレッスン日記⑤はじめに言葉ありき

どうもどうも。
先回の記事で中学受験は無事終了、と書きましたが、その後にまた嬉しい知らせが入ってきました。
その生徒は千葉県の女の子で春夏休みの期間中に、短期集中で作文だけ指導していた子なのですが、なんと千葉県の国立大付属の中学に受験合格したとのこと。
すごいことにこの子もほぼ進学塾には通っておらず受験すると決めたのも秋口になってから。そこからも基本的には独学で、受験指導もほぼ受けず。V-netまでも遠いので、その間、私も一度二時間指導しただけでした。
とはいえ実は、この子はもともと作文能力に関してはずば抜けておりました。
上にも書いたように春夏休み、四年生から作文の指導を行っておりましたが、いわゆる「作文」を書いたのは最初だけ。その後は毎回、構想を練ってきた物語を一緒に小説にすることを課題としておりました。
いや、正直、私はあんまり何にもやってない。彼女が次々と書いていくのを時々修正したり軽くアドバイスを行うだけ。それだけで毎回三時間かける三日間で、小説を作り上げていたのです。
まあ、少なくとも中学受験の国語作文は敵ではなかったでしょうね。

 

と、そうした知らせを聞いて、ふと思うこと。
やはり、国語力、というか言語力って大切ですね。今更ながら。

彼女だけではない、このあいだ都立中合格した生徒、さらには過去にさかのぼって思い出す、私立都立国立の中学高校大学受験をしていった生徒たち。
文章を思うままに書ける言語力に優れた子たちはすべからく、トータルの受験では思う以上の結果を得ました。中学受験がダメでも高校受験で結果を出し大学受験ではさらなる飛躍。本当にそういうケースが多い。

それはつまり、こういうことです。

言葉、とは認識の基盤であり、核です。
私たちは言葉により物事を、特に抽象概念を認識し理解します。
その言葉を自在に操り文章化するとは、つまり抽象的な概念を自在に操りそれを組み合わせ構成する能力を持つということです。

何となれば、それは論理的な思考力を持つ、ということなのです。

物事を深く認識し理解する力がある。
そして物事を論理的に思考する力がある。
「頭がいい」って、つまりはそういうことですよね?

私個人の印象では、特に文章を読むだけだけでなく、書く力が重要に思います。
言葉を自分で想起し構成し誰かに伝えようと工夫すること。
その習慣化がやがては話す言葉や内心の思考をも「文章化」させる、つまりは「論理化」させると思うからです。
けれどももちろん、文章を書く力はその前段として、他の優れた言葉や文章をインプットすること、要するに文章をたくさん読む、多読することを必要としますが。

まあ当たり前の話ではあるんですが、その当たり前の話を今一度実感したという感じです。
はじめに言葉ありき。
いや、よく言ったものです。

それでは、それでは。

追伸、
ってなことを書いていたら、ちょうどいま、高校受験生徒から嬉しい知らせが!
第一志望の慶應に合格したっていうじゃないですか!
マジか! すげえぞ!
いやあ、この子も国語はかなりできたし、それこそ論理的なヤツで中三に全く見えない大人びたヤツでしたが数学が非常にビミョーということで少々心配していたのですが、やったぜ!
よかったなあH!
ホントにホントにおめでとう!!

いまんもレッスン日記④ いろいろな「頑張り」:中学受験顛末

どうも、どうも。
昨日、都立中高一貫校の発表がありまして、今年の私の生徒の中学受験は無事、終了しました。

どうも今年の傾向をみていると、私の生徒のみならずV-net全体でも言えることですが、まあまあ適度に頑張った生徒の調子が良いみたいですね。
昨日、都立の合格を報告してくれた生徒もそうです。
松永先生もブログに書いてくれていましたが、実質、私が個人指導をしたのは2ヶ月程度、詰めて受験勉強をやったのも同程度の期間だったのではないでしょうか。
もっとも、この生徒は「作文道場」にも長く通っていたので、作文の能力自体は前から比較的高かったのですが。
それにしても、それで志望の都立高に一発合格しちゃうんだから、たいしたものですね。

「道場」に通っていた生徒、ということで言えば、もう一人、これまた「まあまあ適度な頑張り」で私立合格した子もいました。
この女の子は「音読サイコロ道場」に通っていた子なのですが、春先の段階では受験しようかしまいか悩んでるってな感じだったのに、九月ごろ急に受験することを決定。
国語はけっこう出来るということだったので、私は、社会というか彼女が全く「未知の世界」だった歴史を指導しました。
まあ正直、そんなに上手くはいかないだろう、とも思っていました。なので、私としては彼女が少しでも歴史に関心を持ってくれるよう、なるべく楽しく学べるよう工夫したつもりです。「ショートコント・歴史」とか言ったりしてね。
別にその甲斐があったわけでは全くないでしょうが、学ぶ吸収力が高かった彼女も一日目に一発合格。びっくりしちゃいましたよ(もっともこれには算数を指導していた前田先生の「かなりの気苦労」が大きかった気もしますが)。

彼・彼女たちをみていると、やっぱり受験に対するストレスや勉強に対するネガティブなしんどさ、全体的な緊張がなかったことが良かったのかなと思います。
まあダメならダメで仕方ない、今目の前のことにベストを尽くしましょう、といった姿勢。
小学校六年生のこどもにとっては、ちょうどいいくらいの学習関心への刺激。
それらが良い結果を呼び込んだんでしょう。

 

だけど、じゃあ頑張ったらダメなのか? 小6で一生懸命努力しても意味ないの?
そんなわけ、ありません。

 

一人、印象深い子がいます。
彼女は人一倍、頑張り屋さんで、親や教師がそんなに頑張らなくてもいい、少し休んでもいいんだよと言っても、長女ゆえの真面目さか、人一倍頑張って勉強しました。
幼い兄弟がいるため家では勉強できず遅くまで自習室など利用して勉強しました。
でも、文句の一つも言いません。周囲への不満ももらしません。
結果はどうだったか。
第一志望とスベリ止め校が、ダメでした。
そして三日目になぜかスベリ止め校よりも偏差値的には上位の学校に合格しました。
その学校はスベリ止め校よりも難しいが故にノーマークだったのですが、それが幸いしたのでしょうか、おそらくあまりプレッシャーを感じずに受けられた模様です。
ともあれ、受験的には悪くはない結果におさまりました。

ですが、私が彼女を褒めたいのは、受験結果などではありません。それは「結果」に過ぎません。
私が褒めてあげたいのは、やはり彼女の「頑張り」です。
上に書いたことと少し矛盾します。しかし私は、「適度に頑張った」人たちと同様に、「一生懸命努力した」彼女もまた、誇りたいと思います。
特に、彼女がどんなにきつい状況にあっても、いつも明るく笑みを絶やさず友人に会ったら「お姉さん」として振舞えていたことを。きっと、すごくしんどかったろうに。

そんな「頑張り」は、やはり彼女の人生の財産になるでしょう。
今日明日得られる何かよりも、彼女が魅力的な人物に成長するための糧となるはずです。

私は、彼・彼女だけでなく、「適度に頑張れた人」も「一生懸命努力した人」も、それぞれがそれぞれのペースで「頑張る」ことで、素晴らしい未来を獲得していってくれることを信じています。
そう、それはきっと間違いのないことです。

それでは、それでは。