「ホームグラウンド」でありたい!

どうもどうも。
皆さん、明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願いします!

ということで、またまたまたまた随分、期間が空いてしまいました。
って、まあ良いんです。もはや開き直り。このブログ(そしてnote)の記事は、わたしイマンモが気が向いた時に、書きたいことあるときに、徒然なるままに書き散らす雑文以下、パルプフィクション、カストリ雑誌記事として今後も継続していく所存。真面目な文章なんぞ金輪際書かんぞオラァ!(ってことは流石にない)

さてさて、ということで新年1発目のこの記事。
こういう場合は、一年の抱負なんかを述べるのが良いんですよね。

でもなあ、何かなあ。
そういう何か、お行儀が良いというか、ありふれた感じは、あんまり好きじゃないんだよね。

いや、実はPC開けるまでは、そんな記事を書く予定だったんですよね。
「よし、ここは1発、景気の良い抱負を書いて、2023年のコレやるぞリストでも書いて『死ぬまでにしたい10のこと』(良い映画)的な感じのこと書いて、あーなんか良い感じのブログやんちょっと感動したわー的な気分になる文章にしよう!」と晴れ晴れとした顔しながらPC開いたんですよ。

でも、なんかそんな気分じゃないなあ、やっぱ。
というか、そこまで力んで主張したい抱負なんぞ、ない。

もっと言うと、自然体でいたいんですよね。何かを成し遂げるとかじゃあなくて、目の前のことを一つひとつゆっくりでもこなしていきたい。
ヒルネットのメンバーの子ども達が、少しずつ、でも確実に前に進む姿、成長する姿を、あくまで「見守って」いきたい。

そう、ヒルネット。

まあ、「抱負」と言うことがあるとすれば、やっぱり僕の場合はヒルネットに関わることになるでしょうな。

しかし、やっぱり。
「よし! ヒルネットで今年こんな企画をやって、そんでもって、もっとオルタナティブスクールってな感じのカッコいい雰囲気醸して、教室の規模もホニャララホニャララ……!」みたいなことはあまり考えない。全然考えない。
昔も書きましたが、そんなふうにいろいろ事前に考えても、子ども達自身がそういう気分にならなければ、それをやってみたいと思わなければ、あんまり意味ない。

「大人」や「教師」が、たとえ子ども達にとって良かれと思ったことであっても、勝手に「企画」して、無理にそれを押し付けるんじゃ、悪い意味で既存の「学校」と変わりません。子ども達の内発性を無視して「大人」が「学ばせたいこと」を決めてしまうのでは、本当の意味での彼・彼女らの「学び」の体験とはならないでしょう。
いや。少なくとも、ヒルネットでは、そんなことはしたくない。

そりゃ、僕にだって、今年はサイコロ計算みたいな「遊び」と「学習」の間のようなことをする時間を増やしたいとか、小学生向けにもうちょっとリベラルアーツ簡単版みたいなのをやりたいなあとかはあります(あるんかい!)。
でも、子ども達がその気になって盛り上がってくれればOKですが、そうでないのに無理にやったって、やっぱり上手くいきません。それこそ前の記事で書いたように、「イヤだ!」と言われてしまえば、それまでです。
「習い事」ならば別でしょうが、ヒルネットはそういう場所ではない。あくまで、子ども達自身が「主人公」であるべきなんです。

だから、以上のような「抱負」はヒルネットには、そぐわない。
あたかも水の如く。子どもも大人も今いるメンバーに合わせて形を変えていくのがヒルネット。

ただ、もし一つだけ「抱負」があるとするなら。

それは、ヒルネットが、子ども達の(場合によっては大人も含め)「ホームグラウンド」のような場所となってほしいということでしょうか。

どういうことでしょう?
これは、いわゆる野球やサッカーのようなスポーツに存在する概念ですね。
つまり、ホームグラウンドとは、そのチームやメンバー、スタッフにとっての本拠地。
帰れる場所。安心して過ごせ、試合になれば応援してくれる人々がたくさんいる場所。
反対の場所がアウェイですよね。
いわゆる敵チームの本拠地です。そこではなかなか暖かい声援は期待できない。歓待はされない。

僕たちは生きていく上で、いくつかの「ホーム」を持っています。

家庭や家族。恋人や友人。仲間。そんな仲間が集まる場所。

幼い頃は、家族が一番の「ホーム」かもしれません。あるいは、成長し大人になれば恋人や新たな家族、家庭ができるかもしれない。
しかし、成長期の少年や少女にとって、家庭は徐々に、少しずつ、「ホーム」というには頼りない存在となっていきます。親には打ち明けられない悩みが出てきたり、考え方や価値観が段々とズレてきたりもする。当然のことであり、将来「独立」するためには、避けられない過程でしょう。
一方、成長の過程では、反比例するように「アウェイ」な場所は増えていきます。社会のさまざまな局面に立ち会うことが増え、傷つくような機会も増えるでしょう。

そんな「アウェイ」の場所で傷ついたときに。
帰るべき場所。安心できる「ホーム」があれば、人間は強く生きることが出来ます。

しかし繰り返せば、彼・彼女にとって家族はもう完全には安心できるホームではないかもしれない。
その時、たとえば「学校」の一部、そこで出来た仲の良い友人などが、新たな「ホーム」となり得た人は幸運である。部活の「仲間」、同じクラスの友人たち。
しかし、大昔の僕自身含め、「そこ」には到底、居場所を作れない子どもだって確かに存在する。
学校がむしろ「アウェイ」と感じる子だってたくさんいる。

ヒルネットは、そういう子どもたちの「ホームグラウンド」でありたい。
学校に行っているとか行ってないとかだけじゃない。
「ホーム」はたくさんある方がいい。小さい頃から続けている習い事。小さい頃からの地元の仲間。いろいろな形のホームはある。
あるいは、たった一つの形であっても、帰ることのできる「ホーム」を持っていれば、人間は「アウェイ」な場所で傷ついたとしても、再び立ち上がることができる。

そんな帰るべき、安心できる場所。「ホームグラウンド」の一つとして、ヒルネットはありたい。

ヒルネットに今いるメンバーも、やがては高校や大学、社会のさまざまな場所へと巣立っていくことでしょう。
そんなふうに「大人」になってからも、何かあったときに、いや何もなくともふと思いついて、ぶらりと立ち寄り帰って来られるような場所でありたい。
いや、実際に立ち寄らずとも、ふと思い出し「あの時は楽しかったな」と思えるような記憶とともにある場所。そういう場所になれたらいいなあと思います。

今のヒルネットが、果たしてそんな「場所」に成れているかは判りません。
しかも、一年の「抱負」というには、逆に過大すぎる「夢」かもしれない。

でも、本来、「学校」とはそういうホームとしての役割を果たす「居場所」だと思います。
友人と出会い。逆に人間関係に悩み。そして、いつかそれら全てが若き日の好き思い出となっていく。
記憶の中でだけでも、帰っていける場所。

ヒルネットを、そういう「学校」にしていきたいと思います。

それでは、それでは。